ターやセッターを猟犬本来の訓練をやめてレース用の訓練に力をそそいでレース犬に仕立てたところで、全然犬種ダラクで、向上とは申されぬ。
要するに競犬をやるのはよろしいが、犬種向上改良などと美名をつけずに、グレーハウンドを海外から買いもとめて、本来バクチ的公衆娯楽として競犬をやりなさい。公衆に娯楽を提供する目的でもあるが、またそのテラ銭の必要によって競犬をやる、そう表明して世をはばかる必要はないと思うが、有りもせぬ美名をつけて犬の智脳向上改良などゝはムダな話であるし、世を偽るものでもあろう。
馬というものは概ね走るだけが能であるし、その取柄や役割も主としてよく走ることが基礎となっているのだから、競馬が馬種向上に役立つとは筋の通らぬ話ではないが、犬の取柄や役割は走ることではありませんな。喧嘩の負け犬は逃げ足の必要があるが、猟犬、番犬、牧羊犬、警察犬、盲導犬、愛玩犬のどの素質の基本にも特に速く走るということが重大な要件とはなっておらん。もッと複雑な智脳や訓練を要する特技によって素質の良し悪しが定まるもので、速く走るということはその犬の素質として決して重要ではない。
だから、競犬ダービーの優
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