と云った犯罪を頻発させる様な事ならば好ましからずと云われても止むを得ないし、ひいてはこうした惧《おそれ》のある一切の競技迄白眼視される事になる。分けても青少年への影響は憂慮されるものがあり、未成年者入場禁止或は競技券禁止等も研究問題で、すべてこれらは国会の議題として充分論議を尽すべきであろう。
自由を尊重する民主主義の世界には成可《なるべ》く禁則の少い事が望ましい。然し其為には禁則が無くても問題を起さない様な立派な国民になる事が先決問題である。
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世の中には色とりどりの愉しいこと面白いことがあった方がよろしいな。ドッグレースなどというものも、あって悪かろう筈は一ツもないね。しかし、運動会の余興かなんかにやるのはよろしかろうが、まず当分は犬券などの発売は見込みがなさそうだ。八百長以上の大騒動になるのはウケアイ。なぜなら、ドッグレースに向く犬が、日本には少いのだから、仕方がない。
まア、シェパードは訓練次第でレースに用いられるかも知れんが、全然ダメなのは日本犬である。日本人は外国のことを知らずに一人ぎめの国粋主義者が多いから、日本犬というものを大そう買いかぶっているけれども、日本犬というものぐらい手に負えないバカ犬はないのである。
一生一人の主人にしかなつかない、二主に仕えず、という、なるほど日本のサムライの賞讃を博するに適した犬であるけれども、日本人はバカでも忠義なのが何よりだと考えて、バカということを問題にしていないから、共同の作業をやらせると大変なことになってしまう。
主人だけに仕えるということは、主人の命令でないと動かん、主人が居ないと一人前、イヤ、一犬前には立居振舞いができんということで、主人と合せてようやく一犬前、主人が居て命令し、犬はその顔色をよんでから動きだすことになる。けれども、犬の競走だもの、主人が犬と一しょに走るわけにはいかんし、さすれば犬は途中で主人と離れるから、どうしてよいかと途方にくれてウロウロと主人を探しはじめるし、一犬ウロウロして万犬ウロウロし、ウロウロ犬同志で喧嘩がはじまる。横丁の勝手口とちがって喧嘩をやるには申し分のないフィールドがあってワンワン、ウーウーやりだせば先頭に立ってまちがわずに走っていた二匹か三匹の感心な犬も、サテハ敵ニ計ラレタリ、我オロカニモ先頭ニ走ッテオクレヲトリシカ、一大事、とコウ
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