聞がまた同列に品性の低いこと、教養の欠けていること、厚顔恥なきこと。ヨタモノが言葉尻をとらえて難癖をつけるような言論が横行してよろしいのでしょうかねえ。実に悲しむべき奇怪事ではありますよ。
さて同業の先輩にこう申し上げてはいささか気がひけるオモムキがありますが、平林さんの追悼文はいかにも時間にせまられて筆を走らせたものらしく、精読する者には論旨はよく分りますが、三分の一も読まないような宮本竹蔵先生は別として、電車の中などで目を走らせる程度の卒読の人に読み誤まりをされる怖れもあるようです。
それは林さんの死因をさぐるに先立って、「よく云われる『ジャーナリズムの酷使』が林さんの死を決定的に意味づける結果となった」と一応言いきったことで、その後の方を読み進むと、実はジャーナリズムの強要というものもそれをよくよく見るとドンラン飽くなきという放恣なものよりも大新聞以外の出版業者の資本が小さくて冒険的な試みができず、当り外れのない企画をたてて流行作家を追いまわす以外に商法がないという必然の結果を生じてそれが林さんの死の一因となったものであるという。結局平林さんはジャーナリズムの酷使ということに彼女の特別な見解を与え、解釈をほどこしている次第ですが、その限りの言い廻しとしては、論理もよく行きとどいてもいるし、分り易くもあるし、言葉穏やかでもあって、決してガムシャラに「どんらん飽くなきジャーナリズムの酷使」が林さんを殺した、と有無を云わさず、きめつけているワケではないのです。
けれども論理的に行き届いた解説をするに先立って、いきなり「ジャーナリズムの酷使が林さんの死を決定的に意味づける結果となった」とあるから、一応そう云いきったように見え、そのあとにテイネイな解説や補足があって、決してそうガムシャラに言いきったわけではないということが、そこまででは分らない。そしてその主旨の言葉はそこが終りで、一応そうきめつけたようにとられ易い弱点はある。すくなくとも、そこまでザッと目を走らせて、分ったような気になって、あとを読まなかった人にとっては、その意味にとられる怖れはあるようです。
もっとも、それは勤めの往復の電車の中でザッと目を走らせる読者からそんな誤読をうける怖れがあるという意味で、批評の筆をとる者は当然全文を精読する義務がありますから、これは別です。批評家が中途で読み止まって批
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