て来て、いろ/\ときゝだすと、そのまゝわたくしを忘れて飛んで行きました。よってくる人はこれと大同小異でたいてい興味だけを露骨に示し、傷に苦しむわたくしをどうしてやろうという親切心は感じられません。一緒に難にあった男の方も、一人々々にきくとテンで無責任なその場逃れのばら/\の答えより出来ない国鉄員に憤慨して、じぶんで自動車を雇って来ました。それで横浜まで送って戴きました。横浜駅で、傷の痛みに坐りこんだわたくしを二人の女学生が親切に両わきを抱えるようにして、切符まで買って電車に乗せてくれました。お二人共、蒲田の駅前の方だとかで、その日にあったたゞ一つの心のあたゝまる事です。
家につくと新聞記者が何人もきました。頭が焼けて口を利くのもおっくうなのに質問だけしつこくして帰ります。国鉄からは音沙汰無しです。やっと翌日(三十日)の午後、公安員と称する人が、「今日は調査にやって来た。見舞いの方は明日くるでしょう」と、いって参りました。その後北鎌倉の家のほうへ東鉄の方が見舞金を持っておいでになったという事ですが、その折、わたくしの入院先をつげたそうですが、誰も見えません。また良人が、怪我人をひとりで
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