がないが、酔っ払うと気が大きくなって、マチガイを仕でかす。主家の金を預ってるうちは一滴ものんではいけませんぞ、というような注意をうける。それでもダメなんだね。
今も私の住む静岡県でミカンの集金人の行方が知れない。彼も出発に先立って、お前さんは酒が腹にはいるとガラリと変る人だから、人様の大金をあずかってるうちは一滴も飲まないように、というような注意をうけて出発している。彼がその夕刻横浜の集金先へ現れた時は、すでに相当の酒がはいってるらしく真ッ赤な顔をしていた。そしそカバンを叩いてここに百何十万円かはいってるんだと威勢のよい見得をきってみせた。そして汽車に乗りおくれちゃ大変だと急いで去ったがそれッきり行方が知れない。たぶん殺されたらしいと目下大々的に調査中だそうだ。
結局酔って山賊に近づくことがマチガイなのだ。当人にも自業自得の責があることは確かであろう。しかし、当人の自業自得の責によって山賊の商法が合理化されることが有るべきではないね。しかし、現在の警察の取締りぶりには、酔っ払いの自業自得を認めるの余り、山賊の商法の方を合理的に考えすぎる傾きがあるようだ。飲んだくれの自業自得も仕方がないが、山賊の商法は酔っ払い以上に取締るべきではあるまいかね。
日本の盛り場には山賊が多すぎるよ。愚連隊のアンチャン。そのまた上のボス。それから山寨《さんさい》をかまえて酒をうる商法。
私のように自業自得を心得、承知で愚をくり返す人間はよろしいけれども、ふだんは善良な集金人的人物に限って酒が好きで、酒をのむと気が大きくなってガラリと一変するというような人は気の毒ですよ。自業自得には相違ないが、盛り場の粛清によって、自業自得の苦しみの何割かを減らすことができるであろう。平凡で善良な人々の一ヶ月に一度、否、一年、一生に一度というマチガイの何割かを減らすことができるのである。私のような常習的のんだくれはとにかくとして、まれに理性を失う人が哀れである。常習的のんだくれは山賊の世界に深入りしないが、たまに理性を失う善良な人に限って、山賊に大きくやられるものなんだね。
安吾巷談を受売りして千円の罰金をとられた話
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謹啓、本当はこの手紙は坂口さんに読んで戴き度いと思って書いたのですが、生憎、坂口さんの住所を知りませんので、“安吾巷談”で、時々貴方様のお名前を
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