え、いつでも映画が見られ、呼リン一つで用の足りるホテル生活――アメリカ映画の様でしたが、一月はじめ、雅叙園に移ってから、ジミーもお金に困るようになりました。
時計屋で、お金をつくろうと彼から相談されたのは、ホテルから度々宿泊料を催促されたあげくでした。その話を聞くと、うまく行きそうな気がしたし、やはりお金が欲しかった。これまでのような生活が捨てきれない気持が強く働いていたのだと思います。
ジミーにいゝつけられたとおり、二十三日ヤシマホテルで都商会の人に会い、六十六万円をうけとり、ホテルを脱け出したときは、わく/\していました。待っていたジミーにあうと「新しい服でも買って、太陽ホテルでしばらく様子を見ていろ」といわれ、そのとおりにしました。ホテルではお金をかくし、一日部屋にとじこもっていましたが、不安でした。心細くて、早くジミーに会いたかった。けれど、来たのは彼ではなく警察の人でした。警察でははじめは虚勢を張って、強いことをいゝましたが、落ちついてみると、悪いことをしたとしみ/″\思います。どんなに叱られても、やはり家へ帰りたい、これからはまじめになって、英語の家庭教師でもしたいと思っています。ジミーとは、もう別れられないのではないかという気もするんですが……
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無智な親が気付かずに娘の家出のお手伝いをしていた話である。東京に働いている娘が毎日八時までに鎌倉に帰らねばならぬとは、ムリな話だ。それほど心配なら首にクサリをつけて、つないでおくに限るな。映画ぐらい見たいのは当り前だし、娘が一人前になって働きにでた以上は、恋愛するのが当然と心得、よき恋愛をするように協力した方が策を得ていたであろう。協力してもマチガイは起きがちではあるが、マチガイに罪悪感をいだかせず、再びその愚をくり返さぬイマシメとして役に立つことができれば、それは一つの人間の進歩で、それでも結構なことである。第一話でも述べたように、少年少女というものは、大人の門が眼前にあっても、そう軽率にくぐりはしないものだ。子供の自発的なブレーキに理解がなく、徒《いたずら》にシツケの厳格を誇るのは手前勝手で、子供が反逆して事を起すに至っても、自分がお手伝いしていたことには気付かず、親の義務をつくしたことを確信しているのが多いらしい。
十時に帰って来た娘を締めだして、戸を叩いても中へ入れず、とうとうお手伝いの仕上げを完了するとは恐れ入った低脳の両親である。相当の社会的地位にあり、一通りの学問はあるのだろうが、何を学んできたのかしらん。人間の心理をといた小説をよんでも、それぐらいの子供の心理に通じるのはヒマがかからない。教育をうけない労働者でも、自己への省察や周囲の事実からの無言の教訓だけで、一通りの心理通になっているのは自然なのだが、男女社員を率いて長と名のつく人物で、こう低能なのは不思議でワケがわからない。
映画も見たいし、ダンスもたのしいし、銀ブラも、レストランをおごってもらうのも愉しいという娘の心境は非難すべきところはない。そういうことがキライ、家事が好きだッたり、読書や学問が好きだという人にくらべて、彼女の方が道徳的に低いということにはならない。好き好き、趣味の問題である。私が女房を選ぶんだッたら、家事が好きだという型よりも、遊びの好きな型の女を選ぶ。その方に魅力をひかれるのだから。これも好き好き、趣味の問題で、あげつろう性質のものではない。
娘が多少の自由を欲した気持は当然で、八時という門限をきめて反逆のお手伝いをしていた両親の低脳ぶりの方が、バカバカしくて話にならないのである。罪悪感を他に転嫁する口実が成りたてば、子供は潔癖好きのブレーキをすてて、好奇心の方へ一方的に走りたがる。そんなに疑るなら、疑られるようになってみせるわ、というようなインネンのつけ方は子供には最もありがちな通俗なものだ。誰の胸中にも善悪両々相対峙しているのは自然で、その対峙を破って悪の方へ一方的に走りだすのは当人にも容易ならぬ覚悟を要するものであるが、それを最も簡単に破らせ易いキッカケとなるのは、親がそのことで疑りすぎてヤケを起させた場合。娘の方もいくらか悪いところがあるようだ。なぜならヤケまぎれに一方的に走りだす口実を得ても、実際にそれをキッカケにして踏み切る娘よりは、まだ踏み切らない娘の方が多いだろうからである。しかし親の低能が、それ以上、はるかに甚しいのは当り前のことだ。
いっぺん踏み切ってしまえば、あとは男次第。男が女を愛してくれて、両親との生活よりも楽しい生活を与える力があれば、娘はそッちに同化する。踏みきった以上は、それが当り前で不思議はない。男が詐欺の常習者と分っても、お金に不自由なく、女にゼイタクをさせ、可愛がってくれる以上、その生活に同化しても、娘が性本来悪を愛する悪質の女だという理由にはならない。踏み切った以上は、どうなろうと男次第というのが普通の女で、要するに踏切らせた親の無智無能がひどすぎたと解すべきである。男の生活に同化するから男次第で荒れもするし、淑《しとや》かにもなるのは自然で、詐欺師と豪奢な生活をし、またぜイタクの反面、ホテルの支払いに苦しんだり、一仕事企んで切りぬけたりしていれば、それ相当の女らしくなるのも当然。捕えられて「お金さえ返せばいいんでしょ」と平然たる有様であったと新聞に報じられているが、右から左へモトデいらずで金が生れる生活に馴れていれば、それぐらいのタンカはきるようになるのが自然である。そんなタンカをきるように生れついてきたワケではなくてかなり多くの平凡な女が、彼女のようなコースを辿る素質があるのだし、同じコースを辿れば同じようなタンカをきるようになるであろう。かえって本当にずるい人間は、そんな時には、神妙にして見せる技術を心得ているもので、それはもう中学生ぐらいからその手腕を発揮するものだ。
「ジミーとはもう別れられないのではないかという気もするのだが」
と手記を結んでいるところ、とにかく、ウスッペラで、これも低脳な娘にはちがいない。彼女がたのしかったのは、ジミーよりも、彼の手腕による豪奢な生活であったろう。ジミーが捕えられて出所したところで、手に職があるわけではなし、財産があるでなし、詐欺の特技を封じられれば、楽しい生活はできやしない。人間は現在にてらして未来を考えるのは当然であるが、捕えられたジミーが過去同様未来に於ても華やかであるか、それについて当然考えてみるのが普通の智能である。彼女には、その智能もなく、考えてみること少く、甚しくウスッペラだ。左文は保釈で出て、母と一しょに天理教のタイコをたたいてお祈りしている写真を見たが、これは又バカバカしい。いずれ三転、そうでなくなるであろうが、この娘も同じようにバカバカしい。この経験を良い方に生かして再起する実力を蔵しているかどうか、大いに疑しいであろう。たまたま良い男にめぐりあってその男の力で再起する見込みはあるが、自力で再起する素質や実力はないようだ。又、他人に転嫁して踏み切って、そういうことを繰返さなければ幸いである。もっとも、それを繰り返して悔いがないなら、それも結構。不和の良人《おっと》との堪えがたい生活を忍び、ほかに行き場も経験もないのでただ涙にくれているような夫人にくらべれば、当然この娘の生涯の方が悔いなきものだし、そういう計算をすれば、各人各様いろいろの答えを出すべき性質のものであろう。踏み切った時が運命の岐れ目かも知れない。素質があっても、必ずそうなるというものではないだろう。しかし、この娘の場合に於ても、智脳の低いのが、運命をひらき、智能相応の素質だけ呼びさましているようだ。とにかく悧口になることは大事なことだ。誰でも一応その人間の限界までは悧口になる素質があるのだから。
第三話 税務署員に殴られた婦人の話 竹内すゑ(四十四歳)
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私は東京の新宿区に住み、十八を頭に四人の子供があり、主人は経師屋《きょうじや》です。
ところで、税金で頭を痛めるのは何処様でも同じことでしょうが、税金ではほんとに身を切られるような想いを致します。昭和二十四年度の所得額は六万円と申告して、その一期分と二期分、おの/\千三百八十九円を納めました。税務署の方ではそれを十八万円と更正決定して来ましたが、実収入はとてもそんなにありませんので、異議申請をしました。すると、その決定はやはり十五万円余りで、税金の滞納額二万七千円に対して、去年の九月初めに、火鉢、茶ぶ台、衝立の三点を差押えられてしまいました。
それから一月ばかり経った十月の十三日、丁度主人の留守中に、四谷税務署の二十二三の若い方が、人夫三名とトラックで差押えの引上げに見えました。
その態度の横柄な事といったら全く言い様がありません。余り不体裁なので親類から借金して新しく入れた表のガラス戸をじろ/\見ていましたが、入って来るなり「今日は……大分儲かったなあ」と、こういった調子です。そして、早速仕事にかゝりましたので私も茶ぶ台を上り口まで運んで手伝いました。
火鉢は重くてとても私の力では運べませんのでお願いしました。税務署の方の態度が余り乱暴なので、私も失礼だとは思いましたが「なるほどその火鉢は差押えになったでしょうが、まさか灰や炭火までは差押えになったんではないでしょう。私達貧乏人にとっては灰を買うんだって大変ですから、灰はそこの土間にうつして行って下さい」と申しました。税務署の人はその通りにしましたが、辺り一面|灰神楽《はいかぐら》になったので、私は布切れで上り口をはたきました。
それから調書に表のガラス戸四枚を追加して書き入れながら「判を借せ」と云うのです。そこで私は「主人が留守ですから判をお借しする訳には参りません。それにあのガラス戸を外されたのでは、奥が丸見えですし、盗難を防ぐ訳に行きません。若しどうしても外すとおっしゃるのなら、主人の居る時にして下さい」と言って判は渡しませんでした。
その後、一旦奥に行ってまた店に出てみますと、もうガラス戸を一枚外して、二枚目に手を掛けようとしているではありませんか。私は跣足《はだし》で飛びおりて「それだけは勘弁して下さい」と必死になって頼んだのです。すると、いきなり拳固で私の右の眼の下をしたたか撲りつけました。その一撃でカッとなった私はその後のことはよく覚えませんが、目撃者の話によりますと、その猛烈な一撃の後、平手で五六回たて続けに打たれたのだそうです。
目撃者といえば、近所の人も数人ありますが、その時たま/\表を通り合せた村田という若い方が、見るに見かねて近くの交番にその由を知らせて下さったので、お巡りさんが早速現行犯を捕えるのだといって馳せつけて呉れましたが、もうその時は税務署のトラックは引揚げた後でした。さすがにそのガラス戸は残して行きました。
子供の知らせで驚いて馳せ帰った主人は早速、警察へ行って詳しく話しましたが一向に埒があきませんでした。
その晩、四谷税務署から課長さんとも一人の方が本人を連れて詫びに来ました。課長さんは「飛んだ粗相をして全く面目もありません。あの人の家は農家で今景気が悪く、クビになると生活できないからどうか寛大な処置を」としきりに詫びていました。
その応対に出た夫は「兎に角、自分も今昂奮しているから、また出直して貰いたい」と云って税務署の方達には帰って戴きました、。ところが、その後十日近く経っても何の挨拶もないので、十月の二十三日近所の人達三十名ばかりと一緒に主人は税務署に出掛けました。署長さんは主人と代表四名に会って呉れましたが、その席で「自分の部下に落度はない。あの晩、税務署から三人行ったのは事実の調査に行ったので詫びに行ったんじゃない。むしろ公務執行妨害だ」と申されたので、その帰途、主人は肚を決めて告訴したのです。
あの人独りではないでしょうが、近所の人達も、大衆に接する税務署員に若い人が多く、横暴な目に余るような言動が多いと云ってみんなこぼしています。
公
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