調書に表のガラス戸四枚を追加して書き入れながら「判を借せ」と云うのです。そこで私は「主人が留守ですから判をお借しする訳には参りません。それにあのガラス戸を外されたのでは、奥が丸見えですし、盗難を防ぐ訳に行きません。若しどうしても外すとおっしゃるのなら、主人の居る時にして下さい」と言って判は渡しませんでした。
 その後、一旦奥に行ってまた店に出てみますと、もうガラス戸を一枚外して、二枚目に手を掛けようとしているではありませんか。私は跣足《はだし》で飛びおりて「それだけは勘弁して下さい」と必死になって頼んだのです。すると、いきなり拳固で私の右の眼の下をしたたか撲りつけました。その一撃でカッとなった私はその後のことはよく覚えませんが、目撃者の話によりますと、その猛烈な一撃の後、平手で五六回たて続けに打たれたのだそうです。
 目撃者といえば、近所の人も数人ありますが、その時たま/\表を通り合せた村田という若い方が、見るに見かねて近くの交番にその由を知らせて下さったので、お巡りさんが早速現行犯を捕えるのだといって馳せつけて呉れましたが、もうその時は税務署のトラックは引揚げた後でした。さすがにそのガラス戸は残して行きました。
 子供の知らせで驚いて馳せ帰った主人は早速、警察へ行って詳しく話しましたが一向に埒があきませんでした。
 その晩、四谷税務署から課長さんとも一人の方が本人を連れて詫びに来ました。課長さんは「飛んだ粗相をして全く面目もありません。あの人の家は農家で今景気が悪く、クビになると生活できないからどうか寛大な処置を」としきりに詫びていました。
 その応対に出た夫は「兎に角、自分も今昂奮しているから、また出直して貰いたい」と云って税務署の方達には帰って戴きました、。ところが、その後十日近く経っても何の挨拶もないので、十月の二十三日近所の人達三十名ばかりと一緒に主人は税務署に出掛けました。署長さんは主人と代表四名に会って呉れましたが、その席で「自分の部下に落度はない。あの晩、税務署から三人行ったのは事実の調査に行ったので詫びに行ったんじゃない。むしろ公務執行妨害だ」と申されたので、その帰途、主人は肚を決めて告訴したのです。
 あの人独りではないでしょうが、近所の人達も、大衆に接する税務署員に若い人が多く、横暴な目に余るような言動が多いと云ってみんなこぼしています。
 公僕として親切であるべき人達がこんな事でよいものでしょうか。私は敢えて抗議する訳です。
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 これは係争中の事件で、手記の婦人は原告でもあるし、被告でもあるそうだ。したがって、犯人の手記のようにそれ一ツ独立の対象として論議しうるものではないが、あいにく殴られた婦人の手記だけで殴った方の言い分も、証人の証言もないから、この手記を一方的に信じて書くのは不当であるが、私は元々紙上裁判しようというコンタンがあるわけではなく、およそ裁判官的な意識は持っていないのである。
 殴ったか、殴らないか、それを見分けて正邪をつけるのは、私のやることではない。しかし法律というものは、その網の目をくぐる要領を心得て、表向きが要領にかなっていると、どうしても罪にならない仕組みであるから、たよりないものである。私はラジオ探訪を聞かないから分らないが、人にきいたところでは、税務署側は殴ったのではなく、婦人の方が逆上してフラフラよろめいて勝手にぶつかったというような意味のことを云っている由であり、証人の言葉は? ときいたら、これはハッキリ覚えておらんそうで、この結果が法律的にはどういうことになるのか、私には見当がつかないことだ。二週間外へも出られなかったという婦人の顔の怪我も治ってしまえば本当かウソか医者にもかかっていないから立証の余地がない。目撃者の証言がどこまで事実認定の証拠たりうるか、言葉の証言だけで他にヌキサシならぬものがないようだから、素人目には、この法律的な判断はどんな結論になり易いのか、とても見当はつけられないのである。
 しかし、この事件が一税務署員の悪質きわまる行為から起っているのは疑う余地がない。表戸のガラスを差押えの品目に加え、それをはずしにかかるとは呆れ果てたことである。殴ったの殴らぬよりも、こッちの方がもっと悪質きわまる弱い者イジメであろう。泥棒の心配はしなければならぬし、真冬の寒風は吹きこむし、不安や健康を損うような破壊を置き残して、その程度の差押えの仕方については悔ゆべきところもないらしい日常茶飯事らしいから、言語道断、まったく鬼畜の行為が身についているのである。法律がこれを罰しうるかどうかという問題などは下の下であろう。
 個人の責任に於て威張るのはまだよろしいが、権力をカサにきて無道をはたらき弱者をイジメル役人は困りもので、国民たちの一番大切
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