僕として親切であるべき人達がこんな事でよいものでしょうか。私は敢えて抗議する訳です。
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 これは係争中の事件で、手記の婦人は原告でもあるし、被告でもあるそうだ。したがって、犯人の手記のようにそれ一ツ独立の対象として論議しうるものではないが、あいにく殴られた婦人の手記だけで殴った方の言い分も、証人の証言もないから、この手記を一方的に信じて書くのは不当であるが、私は元々紙上裁判しようというコンタンがあるわけではなく、およそ裁判官的な意識は持っていないのである。
 殴ったか、殴らないか、それを見分けて正邪をつけるのは、私のやることではない。しかし法律というものは、その網の目をくぐる要領を心得て、表向きが要領にかなっていると、どうしても罪にならない仕組みであるから、たよりないものである。私はラジオ探訪を聞かないから分らないが、人にきいたところでは、税務署側は殴ったのではなく、婦人の方が逆上してフラフラよろめいて勝手にぶつかったというような意味のことを云っている由であり、証人の言葉は? ときいたら、これはハッキリ覚えておらんそうで、この結果が法律的にはどういうことになるのか、私には見当がつかないことだ。二週間外へも出られなかったという婦人の顔の怪我も治ってしまえば本当かウソか医者にもかかっていないから立証の余地がない。目撃者の証言がどこまで事実認定の証拠たりうるか、言葉の証言だけで他にヌキサシならぬものがないようだから、素人目には、この法律的な判断はどんな結論になり易いのか、とても見当はつけられないのである。
 しかし、この事件が一税務署員の悪質きわまる行為から起っているのは疑う余地がない。表戸のガラスを差押えの品目に加え、それをはずしにかかるとは呆れ果てたことである。殴ったの殴らぬよりも、こッちの方がもっと悪質きわまる弱い者イジメであろう。泥棒の心配はしなければならぬし、真冬の寒風は吹きこむし、不安や健康を損うような破壊を置き残して、その程度の差押えの仕方については悔ゆべきところもないらしい日常茶飯事らしいから、言語道断、まったく鬼畜の行為が身についているのである。法律がこれを罰しうるかどうかという問題などは下の下であろう。
 個人の責任に於て威張るのはまだよろしいが、権力をカサにきて無道をはたらき弱者をイジメル役人は困りもので、国民たちの一番大切
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