具わって人の病気を治し得たことがあった、と語った。
彼の話は真実であるに相違ない。しかし、治す人と治される人には相対的なツナガリが必要で、万人向きのものではないにきまっているし、呉氏が人の病気を治し得たのも「ある期間」に限られていたのである。
手をかざして人の病気を治し得た彼は、同様な方法で、他人から自分の病気を治してもらうことのできる人であろう。
ひるがえって私自身を考えると、私はいかなる時期に於ても、手をかざして人の病気を治すような能力があろうとは考えられず、又、同様に、人から病気を治してもらう能力も持っているとは思われない。
そういう実験の一つとして、私は催眠術の先生のところへ他流試合に行って、催眠術が私にかかるかどうか試合をしてみようかと考えたこともあった。又、その先生が他の人を催眠術にかける秘伝を見破って、私が誰かを(できれば催眠術の先生を)術にかけることができるかどうか、試みたいとも思った。
私は二十四五年前に、催眠術のことを多少しらべたことがあった。というのは、私の中学時代の級友に山口という男があって、先日岩田豊雄さんに会ったときこの男の話をしたら、記憶しておら
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