ルは先ず新潟中学へ伝えられ、この伝授の世話係は私の兄献吉であったようだ。彼がどういうわけで母校の水泳の世話係をやっていたのか、その理由が私には分らない。スポーツには全然縁のない男だ。しかし、極端に新しがり屋の珍し好きで、それに世話好きであるから、クロールという新型の速力に驚いて、なんとなくジッとしていられなかったのかも知れない。新渡来のクロールをいちはやく身につけたが、新潟中学は今もって、一度も、水泳で鳴らしたことがない。風土が水泳に向かないのと、したがって、今もって、プールを持たないせいである。そして最初にプールをもった茨木中学から高石勝男が現れたのである。私もカワナモク型原始クロールをいちはやく身につけた一人だが、しかし私は百米を今の日本の女子記録よりも速く泳ぐことができなかったようである。
高石勝男は長距離から短距離専門に変って、まず日本で最初の国際レベルの選手になった。ここ十数年、日本水泳は長距離王国を誇っているが、高石の自由型短距離につゞいては鶴田の平泳。長距離の発達はおくれていた。
ターザンのワイズミュラーが全盛のころ、オリムピックの帰途だかに、日本へ来たことがあった。
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