アルネ・ボルグと、チャールトンも一しょであったと思うが、あるいは私の記憶ちがいで別の機会であったかも知れん。
これが外国の水泳選手来朝の皮切りであったと思う。当時の日本の国際レベルの選手は高石一人だが、彼は競泳界を引退するまで、一度もワイズミュラーに勝つことができなかった。最も接戦したときでも、百米レースで一秒ぐらい差をつけられ、ターザン氏は全然無敵であった。二百米の世界記録はターザン氏のが今もって破られずにいるように記憶するが、あるいは破られているかも知れない。今度の日米競泳で古橋のだした新記録なるものはターザン氏の記録には遠く及ばないのである。
この最初の国際競泳は、なんとか玉川という遥か郊外で行われ、終点で電車を降りて、多摩川ぞいの畑の中をトボトボ歩いて遊園地の五十米プールに辿りつく。見物席はサーカスと同じように俄かづくりの小屋掛である。
ワイズミュラーはプールのまん中までもぐっていって、顔をだしざま、水をふきあげて、ガガア! という河馬《かば》のマネ(ではないかと思うが)を再三やって見物衆をよろこばせた。天性無邪気で、当時からターザンに誰よりも適任の素質を示していた。
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