あって、力というものではない。レースは相手とせりあうことによって、相手をぬいて行く力を言うのである。吉岡は決勝にものこらなかった。
水上競技も、古橋の出現までは、時計をたよりに勝負の力というものを忘れていた。タイムで比較して、勝つ、勝つ、と云いながら、四百米では、勝ったことがない。バスタークラブとか、メディカの力というものを忘れていたのである。日本の水泳選手で、アメリカのお株をうばって、レースの力というものを見せてくれたのは古橋だ。今度の日米競泳でも、古橋は勝負強さを見せてくれた。タイムの問題ではなくて、相手が自分の前にいるから、これを抜く、という力なのである。日本は古橋一人だが、アメリカの選手は概ね時計の選手ではなくて、レースの選手なのだ。負けたとはいえ、古橋をタッチの差まで追いつめたマクレンの二百米の追泳ぶりは力の凄さを如実に示している。四百米リレーでも、マクレンはあんまり得意の種目ではない百米で、百米専門の浜口を二米ぬいて、寄せつけなかった。タイムでどうこういうのでなくて、相手次第、せり合って負けないという型なのである。
欧米選手は概ねこの型のレース屋なのである。日本の選手は
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