ラルにでていたが、美しくなかった。なるほど前から見ると、胸が全部オッパイだが、横から見ると、肩からグッとビラミッド型に隆起しているわけではなくて、肩から垂直にペシャンコである。お乳だけふくらんでいて、美しい曲線は見られない。
画家はこのモデルから自分の独特の曲線を感じ得るのかも知れないが、その人自体は美の対象ではないようだ。
裸体の停止した美しさは裸体写真などの場合などは有りうるが、舞台にはない。舞台では動きの美しさが全部で、要するに踊りがヘタならダメなのである。昔の場末の小屋のショオには大根足の女の子が足をあげて手を上げたり下げたりするだけの無様《ぶざま》なものであったが、それにくらべると、今のストリップは踊りも体をなしているし、そろって裸体が美しくなってることは確かであるが、裸体美というものはそう感じられない。
むかし、日本政府がサイパンの土民に着物をきるように命令したことがあった。裸体を禁止したのだ。ところが土民から抗議がでた。暑くて困るというような抗議じゃなくて、着物をきて以来、着物の裾がチラチラするたび劣情をシゲキされて困る、というのだ。
ストリップが同じことで、裸体
前へ
次へ
全20ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング