ときであった。
火元はキティ颱風でやられた海岸通りの道路工事をやってる土建なんとか組の作業場で、十九か二十ぐらいの若い二人の労務者が賭をした。
「タバコをガソリンの上へすてるともえるかもえないか」
という賭である。そこで、もえる、と云った方が、じゃア見てろといってタバコをすてたので、火の海になった。あわてて砂をかけたが及ばず、アレヨというまに建物にもえうつりドラムカンに引火して、バクハツを起し一挙に四方に火がまわったのだそうだ。
火元の土建の何とか組は、私にも多少の縁がある。
銀座のビルの一室をかりて、なにがしという綜合雑誌のようなものをだしていたのが、映画俳優のY氏であった。三年ぐらい前の話で、ひところの出版景気に、目先が早くて行動的な映画人で出版や雑誌発行をやった人も相当いたようだが、映画雑誌か娯楽雑誌が普通で、Y氏のように、綜合雑誌めいたものは例外だろう。Y氏の柄に合ったもののようにも見えなかったし、編輯上の識見があったとも思われないが、なんの困果でこんな雑誌をだしたのか私は今もって知らないが、徹底的にピント外れで、Y氏ならびに雑誌合せて、奇抜、ユニックな存在だったかも知
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