涙をのんで家へ走った。
遠い方角というものは、思いもよらない見当違いをしがちであるが、十日前にも火の手を見たから、熱海の方角に狂いはない。十日前にはチョロ/\と一本、ノロシのような赤い火の手が細く上へあがっているだけであったが、今日は北方一面に赤々と、戦災の火の海を思わせる広さであった。
一陣の風となって家へとびこみ、洋服に着代え、腕時計をまき、外へとびだし、何時かな、と腕をみて、
「ワッ。時計がない」
女房が時計をぶらをげて出てきた。
「あわてちゃいけませんよ」
と言ったと思うと、空を見て、
「アッ。すばらしい。さア、駈けましょう」
「どこへ?」
「駅」
「あんたも」
「モチロン」
この姐さんは、苦手である。弱虫のくせに、何かというと、のぼせあがって、勇みたつ。面白そうなことには、水火をいとわず向う見ずに突進して、ひどい目にあって、二三日後悔して、忘れてしもうという性コリのない性分であるから、この盛大な火の手を見たからには、やめなさいと云ったって、やめにするような姐さんではない。
私は内心ガッカリした。私は火事というと誰も行くことのできない消防手の最先端へとびだして、たっ
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