いう話であった。私は白河夜船でその騒ぎを知らなかった。
 翌朝、私が目をさまして、一人、新川の店へ散歩に行くと、新川が起きて新聞を読んでいる。
「先生、大変な奴が現れましたぜ」
「どんな奴が」
「まア、先生、これを見て下さいな」
 新川は新聞狂で、東京の新聞をあるだけとっている。あの当時十いくつあったそれを三畳の部屋一ぱいにひろげて、当人は土間に立って、新聞の上へ両手をついてかがみこんで、順ぐりに読んでるのである。
 新川の示す記事をみる。それが帝銀事件であった。私がなんとか組のなんとか氏と腕相撲していた時刻に、帝銀事件が起っていたのである。だから、私は帝銀事件に限ってアリバイがある。何月何日にどこで何をしていたというようなことは、自分の大切なことでも忘れがちなものだが、帝銀事件に限って、身のアリバイを生涯立証することができるという妙な思い出を持つに至ったのであった。
 私は熱海大火の火元を知ると、いささか驚いて、
「なんとか組って、一人ぎめの社長が親分のなんとか組だろう?」
「イヤ。あれは親分じゃなくて、親分の実弟なんです」
 と高橋が答えた。それで、なんとか組のなんとか氏が実の親分
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