多い。新宿で私が眠りに行きつけの家も、終戦後十何人と変った女の中で、好きでダンスを覚えで、ホールへ踊りに行くのは、たった一人、大半は映画も見たがらず、ひねもす部屋にごろごろして、雑誌をよんだり、ねたりしているだけである。特にうまいものを食べたいというような欲もなく、支那ソバだのスシだのと専門店のものがうまいと心得ていても、特にどこそこの店がどうだというような関心もない。熱海中私を案内したパンパンは、スシはここが一番よ、とか、洋菓子はこことか、その程度は心得て、一々指して私に教えてくれたが、
「重箱ッてウナギ屋知ってるかい」
 ときいてみると、知らない。この店は熱海の食物屋では頭抜けたもので、小田原も三島も及ばぬ。東京も、ちょッとこれだけのウナギを食わせる店は終戦後は私は知らない。こういう特別なものは、彼女らは知らないし、関心も持っていない。
 自由が許されても、彼女らは鋳型の中の女であり、ワクの中に自ら住みついて、個性的な生き方をしようとしない。彼女らがそうであるばかりでなく、日本の多くの「女房」がそうで、オサンドン的良妻、家庭の働く虫的なものから個性的なものへ脱皮しようとする欲求を殆ど持っていない。
 未婚時代はとにかく、ひとたび女房となるや、たちまち在来のワクの中に自ら閉じこもって、個性的な生長や、自分だけの特別な人生を構成しようという努力などは、ほとんど見ることができなくなる。
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ねむいよ、ねむいよ
ねむたかったら
女房とパンパンが
待ってる
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 私がこう唄ったからって、世の女房が私を攻撃するのは筋違いで、口惜しかったら、生活の中に、自分の個性ぐらいは生かしたまえ。諸氏ただ台所の虫、子育ての虫にあらずや。
 私は三年ぐらい前に有楽町の当時五人の姐御の一人の「アラビヤ」という三十五ぐらいの姐さんと対談したことがあった。
 たまにお客に誘われ、田舎の宿屋へ一週間も泊って、舟をうかべてポカンと釣糸をたれているのも、退屈だが、いいもんだ、と云っていた。アラビヤがそうであったが、街娼は概して個性的だ。つまり保守農民型は公娼となって定住し、遊牧ボヘミヤン型は街娼の型をとるのかも知れない。
 現在の日本は、公娼と街娼が混在しているが、果していずれが新世代の趣味にかなって生き残るかということに、私は甚しく興味をいだいているのである
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