はでてこい、若い者にヒネラせてやる、なんていう雑誌の社長があってたまるものか。あんたが社長をやめなければ、ぼくの一存で、今、この場で雑誌をつぶす。雑誌をやりたければぼくがつぶしたあと、やるがいゝ」
「社長から手をひく」
「あんたの二十万は、もう使ってしまって返されんそうだが、文句はないか」
「すすんでO氏に寄進したものだから、文句はない」
 それで話はすんだ。
 なんとか組のなんとか氏は、そうワカラズ屋の暴力団ではないらしかったが、H氏という女性的に神経質のニセ豪傑がひがんだ主観で事実を自分流にまげて伝えているから、変にこじれて受けとり、どやしつければ文学青年はちぢみあがるもんだと考えて乗りこんだらしい。これは見当ちがいで、文学青年と不良少年はやさしくしてやるとなつくが、どやしつけると、微底的に反抗する、当日はそれで話はすんで、一応うちとけたが、なんとか組のなんとか氏が完全に了解したわけではなく、H氏を間にはさんだための食い違いはどうすることもできないものであった。
 この日の話には、ちょッとした蛇足がついてる。私には忘れられない思い出であるから、ちょッとしるしておこう。
 それから三人で酒をのんだが、酔ううちに、なんとか組のなんとか氏が、自分にはほかに芸がないが腕相撲だけが自慢だ、という。こいつは面白いというので、よろしい、一戦やろう、と私が挑戦したのは、先程からの感情の行きがかりではなく、単純にひとつヒネッてやろうという気持だけであった。
 私は腕相撲などはメッタにやったことがないが、終戦直後、羽織袴で私のところへやってきた右翼の青年の集りの使者の高橋という青年(今、私の家にいる)、これも柔道二段らしいが、これをヒネッて、その時以来、腕相撲では気をよくしていたせいだ。
 この高橋は、私のところへ講演をたのみに来たのである。右翼青年の集りが拙者に講演をたのむとは憎い奴め、ウシロを見せるわけにはいかないから、当日でかけて行くと、二十人ぐらいの坊主頭の若者どもが小癪な目をして私をかこんで坐る。この小僧めらが、と思ったから、天皇制反対論を一時間ばかり熱演してやった。歴史的事実に拠ってウンチクを傾けたのであるが、ウンチクが不足であるから、ちょッと傾けると、たちまちカラになる。こんな筈ではなかったが、と、あっちのヒキダシ、こっちのヒキダシ、頭の中をかきまわして、おまけに話し
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