少年だ。当人は自分を女優という。私は女優です、と云うのである。男の服装はしているが、心はまったく女であった。
私はこのヤマさんに惚れられて、三年間、執念深くつきまとわれた。私は錯倒した性慾には無縁で、つきまとわれて困るばかりだ。
しかしヤマさんという人物は実に愛すべき美徳をそなえ、歌舞伎という古い伝統の中で躾けられてきたのだから、義理人情にあつく、タシナミ深く、かりそめにもハシタないフルマイを見せない。
私につきまとうにしても、歌舞伎の舞台の娘が一途に男をしたうと同じ有様で、思いつめているばかり、踊りや長唄などの稽古にかこつけて私を訪れて、キチンと坐って、芸道の話をしたり、きいたり、しかし時には深夜二時三時に自動車でのりつけて、私が出てみると、ただ悄然とうなだれていたりして、こういう時には困ったものだ。そんな時には、ずいぶんジャケンに叱りつけたり、追い返したり、時には私が酔っていて、ひどいイタズラをしたこともあった。
深夜にやってきて、どうしても私から離れないから、男色癖のある九州男児をよびむかえ、私はそッとぬけだして青楼へ走ってしまった。そこから電話をかけてみると、ヤマさん受話器にしがみついて、殺されそうです、助けに来て下さい、まったく悪いイタズラをしたものだ。
世の荒波にジッとたえて高貴な魂を失うことなく、千代梅の内儀に対しては忠義一途、人々に親切で思いやり深く、人柄としては世に稀れな少年だった。学問はなかったが、歌舞伎の芸できたえた教養があった。
その後私が東京を去り、そのまま音信が絶えていたが、終戦二年目、私が小説を発表し住所が知れると一通の手紙をもらった。
戦争中は自分のようなものまで徴用されてセンバン機などにとりつき、指も節くれてしまったが、それでもお国につくすことができたと満足している。今は誰それの一座におり、何々劇場に出演しているから、ぜひきていただきたい、と、なつかしさに溢れたつているような文面であった。
一度劇場へ訪ねてみようと思いながら、それなりになっていた。
そのうち、上野の杜だの男娼だのと騒がれるようになり、それにつけて思われるのはヤマさんだ。歌舞伎の下ッ端は元々生活が苦しかったものだが、終戦後は別して歌舞伎の経営不振で、お給金はタダのようなものだという。とても暮しがたたないとすれば、ほかに生活力のないヤマさんが自然やりそうなことは思いやられるのである。上野の杜のナンバーワン女形出身などゝいうと彼ではないかと気にかかり、男娼の写真がでゝいるなどゝきくと、わざわざ雑誌をかりたり取りよせたり、その中に彼がいないかと気がかりのせいなのである。彼の美貌というものは、当今騒がれている男娼ナンバーワンどころのものではなかった。水もしたたる色若衆であったのである。
私は上野というとヤマさんを聯想する習慣だったが、実地に見た上野ジャングルというものは、なんと、なんと、水もしたたるヤマさんと相去ること何千万里、ここはまったく異国なのである。
公園入口に百人ぐらいの人たちがむれている。男娼とパンパンだ。そんなところは、なんでもない。上野ジャングルはそんなところにはないのである。
山下から都電が岐れて、一本は池の方へまがろうとするところに共同便所がある。
「あの便所がカキ屋の仕事場なんですよ」
と私服の下にピストルを忍ばせた警官が指す。
「カキ屋?」
「つまり、masturbation をかかせるという指の商売、お客は主として中年以上の男です。この人がと思うような高位高官がくるものですよ。つかまえてみますとね、パンパンを買う常連の中にも、社会的地位のある人がかなりまぎれこんでいるんですよ」
私たちは共同便所へとすすんだ。二十米ぐらいまでくると、シャガレ声で、
「カリコミイ――」
と呻く声。
巡査はパッと駈け寄って、懐中電燈一閃。カキ屋を捕えるためでなく、現場を我々に見せてくれるためだ。
しかしカリコミを察知されたのが早かったので、便所の入口へ駈けつけた巡査が、懐中電燈で中を照しだした時には、七人の男がクモの子を散すように、逃げでる時であった。一瞬にして八方へ散る。ヨレヨレの国民服みたいなものをきた五十すぎのジイサン。三十五六の兵隊風の男。等々。いずれも街頭でクツをみがいているような人たちだが、共同便所の暗闇の中で、泥グツをみがくにふさわしい彼らの手で、一物をみがいてもらう趣味家はどんな人々なのか、まるで想像もつかない。
「カキ屋の料金は五十円です」
と、お巡りさんは教えてくれた。
田川君と徳田潤君がつきそってくれたが、徳田君は社の帰りに一度は上野にたちよってちょッとぶらついてみないと心が充ち足りないという上野通であったが、かほどの通人にして、カキ屋の存在を知らなかった。つまり、公園入
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