もないオシロイなどぬりたくり、チヤホヤしたから、それからは親分が見廻りにくるたび御休憩の家となり、親分御食事中はほかのお客はお断り。門前払いだ。
やがて親分が酔っ払う。親分と内儀だけ奥に残して、乾分《こぶん》たちは退散し、食堂のオヤジも二階の碁席へ追ッ払われる。オヤジは腰がまがって、二階へ上ってくる時は、一段ごとに手も突きながら、ウウ、ウウ、ウウ、と這ってくる。関さんという碁席の番人で、これもヘタクソなのを相手に、血迷った馬のような青筋をたてて、ただもう猛烈な速力で碁を打ちはじめるのである。ハハア、香具師の親分が来てるな。追っ払われたな、ということが、常連にはすぐ分るのである。
碁席を当日休業にして、この広間で、跡目披露をやったこともあるし、モメゴトの手打式などもあった。袋小路のドン底の羽目板が外れて傾いて、食堂の土間には溝のあふれた匂いがいつもプンプンしているようなところで、こんなところで跡目披露や手打式をやるようでは、よッぽど格の下の親分であったに相違ない。落伍者や敗残者だけが下宿するにふさわしい家で、便衣隊の隠れ家には適しているが、まア、便衣隊の小隊長格の親分だったのだろう。
こうなってからは、碁席の方へも、乾分のインチキ薬売りや、そのサクラや、八卦見《はっけみ》や療養師や、インチキ・アンマや、目附の悪いのがくるようになり、彼らが昼間くる時はカリコミがあった時で、一時しのぎに逃げこんでいるのだから、ソワソワと落付かず、碁はウワの空で、階下でゴトリと音がするたび、腰をうかして顔色を変える。
私はこの連中から、花札や丁半のインチキについて、実地に諸般のテクニックを演じて見せてもらった。こればかりは実演して見せてもらわないと分らない。指先の魔術である。寄席でやる奇術師のカードの魔術、すくなくとも、あれと同等以上の指先の錬磨がないと、インチキ賭博はやれない。札が指と手の一部のように、指の股に、掌に、手の裏に、袖に、前後左右、ヒラヒラ、クルクル、自由自在、目にもとまらぬものである。特に対面《トイメン》には全然わからない。当人の向って左側の者にだけ、シサイに見ていると魔術が分るから、ここには仲間をおかないとグアイがわるいようだ。
私は麻雀については知らないが、見ていると、のぼせあがって、ひどく忙しく、やっている。まるで忙しくやらないと麻雀打ちのコケンにかかわるか
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