円である。
「一杯五十円の、二杯ね。お砂糖入り牛乳ですよ。だから、五十円」
女丈夫はお砂糖入りをくりかえし強調した。
男はカバンを持っていたのである。勘定を払う段に、カバンが失くなっているのに気がついた。いくらか酔いがさめかけたのである。しかしまだ全然呂律がまわらない。
「カバンが失くなったから払えない。払わんとはいわん。ぼくはこういう者です」
男は名刺をとりだしたが、ヨロけてフラフラ、ウイッといって前へのめりそうになったり、今喋っていることを明朝覚えているとは思われない。
お巡りさんは名刺と定期券を合せて調べたが、たしかに本人の名刺だ。
けれども女丈夫は承知しない。所持金がないと知りながら、今すぐ払えという激越な口吻だ。つまり上衣か何かカタにとりたてるコンタンらしい。巡査も呆れて、
「たった百円のことじゃないか」
と叱りつけたが、女はひるむどころか、
「じゃ、明日の何時に交番の前で払うと、お巡りさんが証人になって、責任をもって下さい」
と図々しいことを言いだした。勝手に責任を押しつけられてはお巡りさんも堪らないから、
「名刺を貰ってるんだから、信用したら、どうかね。ニセの名刺じゃないことが証明ずみなんだから。こちらの方も悪意があるわけじゃない。酔っ払ってカバンを失くしたために払えないことがハッキリしとるじゃないか」
「イエ、ぼく必ず払う。明日の朝七時。ここで払う」
と男は胸をそらして威張ったが、呂律がまわらず、ヨロメキつづけている。今の約束も明朝忘れているだろう。
女もこれ以上ガン張るのは不利と見たらしく、
「たった百円ですからね。よろしい。この人を信用しましょう。私は信用してひきとりますから、この人のカバンを探してあげて下さい」
そう云ったから帰るかと思うとそうでもない。帰りそうにしては、険しい顔をキッと押し立てて、
「この名刺を信用して、ひきとりますが、この人のカバンを探してあげて下さい。たのみますよ」
今度は男のカバンを探してくれということをシツコク言いだして、いかにもそれも押しつけるように、たのみますよ、とくりかえす。
その執拗さに巡査も腹を立てて、
「君のカバンでもないのに、何をしつこく頼むことがあるか。君に頼まれなくとも、我々はそれが職務だから、余計な世話をやかずに、用がすんだら、ひきとりたまえ」
「カバンを失くして気の毒だから
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