かわって自殺者の新メッカとなった熱海は、コモもいるし、棺桶もいる。観音教の教祖は熱海の別荘をあらかた買占めて、はるか桃山の山上に大本殿を新築中であるが、自殺者の屍体収容無料大奉仕というようなことは、やってくれないのである。
 熱海にくらべれば、私のすむ伊東温泉などは物の数ではない。それでも時折は、こんな奥まで死ににくる人が絶えない。もっと奥へ行く人もある。風船バクダンの博士は、はるか伊豆南端まで南下し、再び北上して、天城山麓の海を見おろす松林の絶勝の地で心中していた。風船バクダン博士という肩書にもよるかも知れぬが、この心中屍体に対しては、土地の人々の取扱は鄭重《ていちょう》をきわめたそうである。一つには、地域的な関係もある。
 心中も、伊東までは全然ダメだ。誰も大切にしてくれない。伊東を越して南下して、富戸から南の海へかけて飛びこむと、実に鄭重な扱いをしてくれるそうだ。
 水屍体をあげると大漁があるという迷信のせいである。現に大漁の真ッ最中でも、屍体があがると、漁をほッたらかして、オカへ戻り鄭重に回向《えこう》して葬るそうだ。さらにより大いなる大漁を信じているからだという。富戸という漁
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