とんど神様に祭りあげられていた。後につゞく自殺者の群によってではなく、地元の島民によってである。何合目かの茶店の前には、始祖御休憩の地というような大きな記念碑が立っていたのである。
 大島は地下水のないところだから、畑もなく、島民はもっぱら化け物のような芋を食い、栄養補給にはアシタッパ(又は、アスッパ)という雑草を食い、牛乳をのんでいた。アシタッパという雑草は、今日芽がでると明日は葉ッパが生じるという意味の名で、それぐらい精分が強いという。大島の牛はそれを食っているから牛乳が濃くてうまいという島民の自慢だ。
 三原山が自殺者のメッカになるまで、物産のない島民は米を食うこともできなかった。自殺者と、それをめぐる観光客の殺到によって、島民はうるおい、米も食えるし、内地なみに暮せるようになったという。
 だから彼らが始祖の女学生を神様に祭りあげるのは、ムリがない。醇乎《じゅんこ》たる感謝の一念である。おまけに、火口自殺というものは、棺桶代も、火葬の面倒もいらない。火口ではオペラグラスの賃貸料がもうかる始末で、後始末の方は全然手間賃もいらないのである。
 雲煙の彼方に三原山が見える。星うつり年
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