っても、疑われてはいない。
かくの如くに頭脳優秀な彼が、もてる金を有効適切に活用するために、ハンスト、保釈を計画したのは当然で、保釈ということを知らなかった私がトンマということになる。
ところが、智能犯は彼一人ではない。犯と云っては悪いけれども、まことに、どうも、生き馬の目をぬくこと、神速、頭脳優秀なのは彼一人ではなかったのである。
芸者、料理屋、待合などから、なぜゴッソリ差入れがあるかというと、これが又、彼の持てる金故であるという。つまり、彼に貸金のある連中が、それを払って貰うために、せッせと差入れしているのである。
私はこれをきいてアッと驚き、しばしは二の句のつげない状態であった。まことに、どうも、真相は卑俗なものだ。
彼が湯河原で寝込みを襲われて捕えられたとき一しょにいた芸者は、弁当や菓子など差入れていたが、ハンストと知って、チリ紙などの日用品を差入れることにした。一念通じて、彼女が先ず一万五千円の玉代をもらいうけ、かくて、彼の所持金は九万八千円になったが、それ以下には減っていないということだから、ほかの差入れは未だにケンが見えないのである。
泥棒とは云っても彼ぐらいの智能犯になると、兇器などというものは所持してもいないし、使ったこともない。温泉旅館というものの宴会、酔っ払い、混雑という性格を見ぬき、万人の盲点をついて、悠々風の如くに去来していたにすぎない。どの芸者とくらべても、彼の方が小さかったというほどの五尺に足らない小男で、女形のようなナデ肩の優男であるというから、兇器をふりまわしても威勢が見えないという宿命によるのかも知れないが、同じ泥棒をやるなら、彼ぐらい頭をはたらかして、一流を編みだしてもらいたいものだ。
私は探偵小説を愛読することによって思い至ったのであるが、人間には、騙されたい、という本能があるようだ。騙される快感があるのである。我々が手品を愛すのもその本能であり、ヘタな手品に反撥するのもその本能だ。つまり、巧妙に、完璧に、だまされたいのである。
この快感は、男女関係に於ても見られる。妖婦の魅力は、男に騙される快感があることによって、成立つ部分が多いのだろうと思う。嘘とは知っても、完璧に騙されることの快感だ。この快感はまったく個人的な秘密であり、万人に明々白々な嘘であっても、当人だけが騙される妙味、快感を知ることによって、益々孤絶して深間におちこむ性質のものだ。水戸の怪僧のインチキ性がいかに世人に一目瞭然であっても、騙される快感はむしろ個人の特権として、益々身にしみることになるのかも知れない。
温泉荒しのハンスト先生の手口も、どうにも憎みきれないところがある。その独創的な工夫に対して若干の敬意を払わずにはいられないし、風の如くに去来する妙味に至ってはいさゝか爽快を覚えるのである。
敗戦後はまことにどうも無意味な兇悪事件がむらがり起っている。意味もなく人を殺す。静岡県の小さな町では、十八の少年が麻雀の金が欲しさに、四人殺して、たった千円盗んだ。無芸無能で、こういう愚劣な例は全国にマンエンしている。戦国乱世の風潮である。
同じ乱世の泥棒でも、石川五右衛門が愛されるのは、彼の大義名分によることではなくて、忍術のせいだ。猿飛佐助も霧隠才蔵も人を殺す必要がないのである。彼らは人をねむらせて頭の毛を剃るようなイタズラをやるが、いつでも睡らせることができるから、殺す必要はない。殺さなければならないのは、敵方の大将だけだが、因果なことに、殺すべき相手に限って身に威厳がそなわり、術が破れて、近づくことが出来ないのである。
人間の空想にも限界があるから面白い。天を駈ける忍術も、万能ではあり得ないのである。自ら善なるもののみしか、万能ではあり得ない。サタンが万能では、悪きわまるところなく、物語に必要な救いというものがないからである。
しかし、忍術物語というものが万人に愛されてきた理由の大いなるものは、人間の胸底にひそむ「無邪気なる悪」に対する憧憬だ。それは又、だまされる快感と一脈通じるものであり、あるいは表裏をなすものでもある。
人間がみんな聖人になり、この世に悪というものがなくなったら幸福だろうと思うのは、茶飲み話しの空想としては結構であるが、大マジメな論議としては、正当なものではないだろう。人間のよろこびは俗なもので、苦楽相半ばするところに、あるものだ。悪というものがなくなれば、おのずから善もない。人生は水の如くに無色透明なものがあるだけで、まことにハリアイもなく、生きガイもない。眠るに如かずである。
人間は本来善悪の混血児であり、悪に対するブレーキと同時に、憧憬をも持っているのだ。そして、憧憬のあらわれとして忍術を空想しても、おのずから限界を与えずにはいられないのである。これが人間の良識であ
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