安吾巷談
今日われ競輪す
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)一見に如《し》かず

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八百長|紛擾《ふんじょう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ、横書き]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)グイ/\と
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 先月某新聞に競輪のことを書いたが、そのときはまだ競輪を見たことがなかった。二十万円ちかい大穴だの、八百長|紛擾《ふんじょう》、焼打、そうかと思うと女子競輪などゝ殺気の中に色気まであり、百聞は一見に如《し》かずと食指をうごかしていたが、伊豆の辺地に住んで汽車旅行がキライときているから、生来の弥次馬根性にもかかわらず、出足がおくれたのである。
 二十日あまり坐りつゞけて、予定の仕事が全部かたづいた。こんなことは、ここ三年間に始めてのことで、たいがい翌月廻し、無期延期などゝ後味のわるい月日を送ってきたが、珍しく二十日のうちに五ツほどの仕事がキチンと片づいて、あと三日間ぐらいは天下晴れて遊べることゝなった。よってジャンパーにりりしく身をかためて出陣に及んだのが東海道某市に於ける競輪であった。私は背広も外套も持たず、冬の外出着といえばこのジャンパーが一着であるが、あたかも競輪へ微行のために百着の服の中から一着選んで身につけたように、競輪ボスか大穴の専門家かと見まごう豪華なイデタチであったそうだ。(と人が思ったのではなく、拙者が思った)
 競輪場で新聞社の人に会う。市の役人に会う。青楼の内儀にもでくわす。拙者往年この町に住んでいたことがあるので、思わぬ知人がいるのである。競輪の事務所へ案内しましょうか、特別の見物席もあります、などゝすすめられたが、ことわる。特別の観覧席へ招ぜられて、お役人の手前味噌の競輪談議をきかされても、何のタシにもならない。我こそは競輪の秘密を見破り、十八万円の大穴をせしめてやろうと天地神明に誓をたてていたのだから。
 第一日目はウォーミング・アップ。種々の方法を試みて軽く所持金を消費し、翌朝の一番列車に使いの者を伊東へやって、家の有金を全部とりよせる。第二日目は、第一日目に看破した秘伝を用いて、三千円とちょッとだけの損失でくいとめる。つまり、両替屋へ三度しか行かなかったということで、十二レースのうち九レースは配当を受けとり、その配当で次の券を買ったという意味だ。ちなみに、第一日目は一度も配当がなく、毎レース毎に両替屋へ行かねばならず、ジャンパーの手前、両替の娘の子にも恥しい思いをしたし、配当をうけとる人々を眺めながら、なんたる奇蹟の人種かと舌をまいていたのだ。私はだいたい一レースに千五百円平均ぐらいずつ券を買った。そして、試みたのである。その試みの詳細は追々物語ります。
 第二日目には三千円ほどの損でくいとめたから、三日目はいよいよ三十万円の大モウケだと、宿屋の寝床の中でアレコレ秘策をねり、こころよく熟睡したが、翌日はなんぞはからん、第十レースにして所持金全額を使い果し、一敗地にまみれて明るいうちに伊東の地へ立ち帰る仕儀と相成ったのである。わが家に於ては小生が有金全部失うこと必定とみて、すでに東京に赴いて金策を果し、敗軍の将をねぎらうに万全の用意をととのえていたが、このへんは近来の美談と云うべきであろう。
 その三日の間に、私は競輪の選手と予想屋を招待して、その話もきいた。役人を間に立てて選手と話しても何にもならないから、やわらかい方面から渡りをつけて、三名の選手を夕食に招じ、腹蔵ない話をきいたのである。
 甲はA級選手で二十三歳。たいがいのレースに本命又は対抗におされている選手だが、この競輪では負けつづけている。乙はB級の無名選手だが、このレースでは一着を出している。十九歳。丙もB級の新人で十七歳。彼らは酒もタバコものまなかった。年の若いせいもあるが、その害も知っているのだ。
 競輪期間、選手は一日当り千百円の宿泊料をうけとる。これは主催地の負担である。しかし指定の宿屋、合宿所というようなものはなく、縁故者や後援者のところへ宿をとり、支給される宿泊料は不足するということはない。一レース九名ずつ選手がでて、六着までナニガシかの賞金があり、弱い者にはトップ賞といって、一周ごとに先登をきった者に千円与える仕組みもあるから、弱者の戦法によってレースごとにいくらかの稼ぎがあるのが普通で、会社の日給と合せると、最もパッとしない選手でも、他の業務にくらべて収入は多く、収入の不満はない。
 負傷した場合には、負傷の治るまでの宿泊料と医療費を負傷した主催地が負担する。これに対しても、選手は満足しているようである。選手の生活は保証されており、酒色にふ
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