狙いには、三万円のモトデが必要だから、三千や五千の穴しか出ない競輪場では、一穴や二穴では回収がつかず、この方法も結局ダメということになるのである。
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競輪には八百長が多いと云われている。私の三日間の観察でも、たしかに、そうだ、と思われる節が多かった。
しかし、すくなくとも、私の見た競輪場の観衆は、あまりに、あまい。彼らが八百長だと思ったときは、案外八百長ではなく、八百長は観衆の盲点をついて巧妙に行われているようである。競輪の観衆は、目先の賭に盲《めし》いて、盲点が多いから、そこをついて、いくらでもダマせるのである。
一般に競輪場は、地方ボスに場内整理をゆだねているので、そういうボスのかかりあっている数だけ、八百長レースが黙認された形になっているらしい。
私の住む伊東市でも、目下、競輪場をつくるか否か、大問題になっている。つくりたいのは市長であるが、市民の多くが反対のようである。
伊東市の新聞の伝えるところによると、さるボスにわたりをつけて場内整理をたのんだところ、このボスはほかの競輪場の場内整理を二十万円で請負っているが、伊東は観衆が少いから、二十五万でも合わないと渋ってみせたという。
観衆が少いから、ひきあわないとは妙な話で、少いほど場内整理はカンタンの筈であり、入場料の歩合いをもらうワケではなく、整理料はちゃんと二十万、二十五万と定まって貰う筈なのである。
だから、観衆が少いから、というのは、ボスに対して一日に一レースは黙認されている八百長レースの配当が低い、ということを意味し、八百長の存在を裏書している言明だとしか思われない。
このボスは東海道|名題《なだい》のボスで、土地のボスではなく、このボスに渡りをつけるには、土地のボスの手を通す必要もあり、土地のボスもいくつかあるというわけで、それらにしかるべく顔を立てるとなると、一日に四ツも五ツも八百長レースが黙許されざるを得なくなるのである。
しかし、私が先ほども述べた通り、八百長レースが多いほど穴狙いの確率は多くなるのであって、素人でも、軍資金を豊富に持って、穴を狙えば、もうかる確率が多くなる。
気の毒なのは、零細の金で、まともにモウケようとする大多数の正直な人々で、この人たちが損をする確率は増す一方、ということになる。
先日、川崎で起った大紛擾、売り上げ強奪事件は
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