あるのは当然でもある。彼らが敗戦の責任を感ぜずに、毅然たる捕虜の態度を保つことによって、国威を宣揚していると考えているとしたら、呆れた話である。敗戦というこの事実に混乱しない将校がいたら、人間ではなくて、木偶《でく》だ。まだ優越を夢みているとしたら、阿呆である。
私は八紘一宇をマルクス・レーニンにすり替えて祖国へ敵前上陸する人々に対しては、腹を立てる気持になれない。
イヤらしいと思うのは、そんな教育の仕方をするソビエトの知性の低さであり、好戦的な暴力主義である。日本の軍部が占領地で八紘一宇を押しつけたと同じ知性の低さである。
どんな思想も、どんな政党も発生にまかせ、国民がそれを自由に批判し、選び、審判さえできれば、国家が不健全になるはずはない。しかし、国民の批判や審判を拒否する政党というものの存在を容《ゆる》したら、もうオシマイだ。
★
ナホトカ組の敵前上陸や、コミンフォルムの批判と対抗するように、天皇一家が新聞雑誌の主役になりだしてきたのは慶賀すべきことではない。
将来何になりたいか、という質問に「私は天皇になる」と答えたという皇太子は、その教育者の
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