ーリンを、皇祖や中興の祖の代りにマルクス・レーニンをすり替えただけで、このすり替えは簡単だった筈だ。その素地は、日本の軍部がつくってくれたのである。
すくなくとも、軍人指導下の日本よりも、ソビエトの方がマシなのは明かだろう。働く者には給与がある。それは軍部指導下の日本も同じことで、かえって人手が足りなくて困ったほどだが、戦備に多忙なソビエトに人手が欲しいのは当然だ。
盆踊りに毛の生えたような踊りや、農村でも見ることのできる映画館や、その程度のものにも彼らが日本以上の文化を感じたのは自然であろう。
彼らが反動を吊しあげるのも、根は日本の軍部が仕込んだ業だ。
私は先日、今日出海の「私は比島の浮浪者だった」を読んで、彼のなめた辛酸の大きさに痛ましい思いをさせられたが、彼がようやく比島を脱出して台湾へ辿りつき、新聞記者団に比島敗戦の惨状を告げたら、敗戦思想だと云ってブン殴られたそうである。自分の見、又、自ら経験した真実を語ってもいけないのだ。しかも、殴ったのは、新聞記者だ。私も同じような経験をした。私は日映というところの嘱託をしていたが、そこの人たちは、軍人よりも好戦的で、八紘一宇《は
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