争にくらべてどれぐらい健全な方法だか知れない。
 我々の文化に、生活の方法に、独自な、そして高雅なものがあれば、いずれは先方が同化して、一つのものになるだろう。我々はそれを待つ必要もないし、期待する必要もない。
 我々は無関心、無抵抗に、与えられた現実の中で、自分自身の生活を常に最もたのしむことだけ心がけていればいゝのである。
 結局、人生というものは、それだけではないか。社会人としては、相互に生活水準を高める目的のために義務を果し、又、自分自身の生活をたのしむことだ。
 セッカチな理想主義が、何より害毒を流すのである。国家百年の大計などゝいうものを仮定してムリなことをやるのがマチガイのもとだ。人のやる分まで、セッカチにやろうというのが、もっての外で、自分のことを一年ずつやればタクサンだ。
 銘々がその職域で、少しでも人の役に立つことをしてあげたいと心がけていれば、マルクス・レーニン主義の実践などより、どれくらい立派だか知れやしない。人の能は仕方がないから、心がけても、人になんにもしてあげられなくても、かまわんのさ。
 そしてその次に、自分だけのたのしい生活を、人の邪魔にならないように、最も効果的にたのしむことを生れてきたための日課だと心得ることだ。
 負けて、手足をもぎとられて、仕方がないから、無抵抗主義を唱えるワケではありません。



底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
   1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第三号」
   1950(昭和25)年3月1日発行
初出:「文藝春秋 第二八巻第三号」
   1950(昭和25)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年1月10日作成
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