結婚した。
 代議士がミーちゃんハーちゃんと同じことをやってはイカンという規則はない。否。代議士もミーちゃんハーちゃんも同じ人間にすぎないのである。それをハッキリ自覚しておれば、天光光氏も因果モノにはならないのである。
 五時十五分。家出して、男の車に迎えられて、走り行く先は墓地とくる。墓前にぬかずき、結婚式場では泣いて……大マジメというのは困るよ。どこにもウイットがない。明るく軽快なところはミジンもなく、自分を客観している理性が欠如しているのである。だから彼女の一挙手一投足、因果モノをぬけだしている要素が根抵的に欠如している。救いがないのである。
 これを良く云えば、彼女はあくまで日本的だ。松谷家は代表的な日本人の家でもある。封建時代さながらの、何の理知もない、暗い日本の家なのだ。天光光嬢の行為は、そのような原始日本の一番低い感情や生活を地で行っているだけのことで、その限りに於て、代表的な日本人でもあるわけだ。
 ただ我々が、新しい生活、より良い生活というものを考えることを知らない人間でありさえすれば、天光光嬢の武家時代さながらの家出結婚をとりあげる必要はないだけの話なのである。

          ★

 天光光嬢に関する限りは、その因果モノ的性格が気になるだけのことであるが、園田氏の場合になると、様相はガラリと一変する。
 天光光嬢はフロシキ包みを連日にわたって持ちだし、墓前にぬかずき、結婚式場では泣いているが、これをリードする園田氏は徹頭徹尾理知的だ。すべてを客観し、構成しているようである。
 この家出結婚をスクープした記者は、偶然の情報で、園田氏とレンラクがあったワケではないと云っているが、その情報というものをトコトンまで追求して行けば、正体はおのずから現われてくる。記者の云っていることは、情報は直接園田氏又はその近親から受けとっていない、というだけのことだ。
 恋愛というものは、タッタ二人でやる性質のものだ。家出結婚というものも、二人だけの秘密ですむべきものだ。作為がなければ、決して洩れる性質のものではない。まして、女の父は一家心中するとまで云っている危険人物ではないか。その父の寝息をうかがうに、脱出の時間まで、きまっているとは、都合のよすぎる話であるが、もし、読者諸君にして冷静に考えれば、先ず第一に、カゴの鳥ではあるまいし、三十女の、レッキとした代議
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