いと意志してはいるが、根本的には自由意志が欠けている。好きキライをハッキリ判別する眼力が成熟せず、自分の生活圏が確立されていない。新聞の書きたてるものへ動いて行く。動いて行くばかりで停止し、発見することがない。これがこの中毒患者の特長である。
 シールズ戦を見物の帰り、池島信平が、ウーム、あれだけの人間に二冊ずつ文藝春秋を持たせてえ、と云ったが、これだけ商売熱心のところ、やや精神病を救われている。私は伊東からわざわざ見物に行ったから、まだ精神病かも知れないが、こうして原稿紙に書きこんで稼いでいるから、やっぱり商業精神の発露で、病気完治せりと判断している。
 私はヤジウマではあるが流行ということだけでは同化しないところがチョットした取柄であった。戦争中、カシワデのようなことをして、朝な朝なノリトのようなものを唸る行事に幸い一度も参加せずにすむことができたし、電車の中で宮城の方向に向って、人のお尻を拝まずにすんだ。
 ベルリンのオリンピックでオリムポスの神殿の火を競技場までリレーするのは一つの発明で結構であるが、それ以来、やたらと日本の競技会で、なんでもいゝから、どこからか火を運ぶ。なにか
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