独感から、ツイ生ききれない思いで、一思いに死にたくなる。その誘惑とは私もずいぶん、たゝかった。一度、本当に死ぬつもりになったことがある。そのときは、女房が郡山千冬に電報をうって来てもらって、どうやら一時をしのいだが、それ以来、発作の時は親しい人をよぶに限ることに女房が気付いて、二度目の時には石川淳と檀一雄に来てもらったのである。そして、渡辺彰、高橋正二という二人の青年を泊りこませ、その他、八木岡英治や原田裕やに、夜昼見廻りに来てもらうというような、巧妙な策戦を考えてくれた。
 そうして私が気がついたとき、私は伊東に来ており、私の身辺に、四五人の親しい人たちが泊りこんでいるのを発見した。
 結局中毒などというものは、入院してもダメである。一種の意志薄弱から来ていることであるから、入院して、他からの力や強制で治してみても、本来の意志薄弱を残しておく限りは、どうにもならない。入院療法は、治るということに狎《な》れさせるばかりで、たいがい再中毒をやらかすのは当然だ。結局、自分の意志力によって、治す以外に仕方がない。
 私は伊東でそのことに気付いたから、あくまで自分で治してみせる決意をたてたが、しかし、自由意志にまかせておいて中毒の禁断苦と闘うのは苦痛で、大決意をかためながらも、三回だけ、藤井博士から催眠薬をもらった。二度はきかなくて、三度目に、特にオネダリして強烈な奴をもらったが、それだけでガンバッて、とうとう禁断の苦痛を通過し、自分で退治ることができた。今はもう、一切薬を用いていない。
 病院へ入院し、強制的に薬を中絶された場合には、私のように三度オネダリすることも不可能で、完全に一度も貰えないのであるが、自分の自由意志によって、そうなるのではないから、ダメなのである。だから精神病院の療法はこの点に注意する必要があって、二度や三度は薬を与えても、患者の自由意志によって治させるような方向に仕向けることを工夫すると、中毒の再発はよほど防ぐことができるのではないかと思う。これは中毒のみではなく、精神病全般について云えることで、分裂病などでも、あるいは自覚的にリードできる可能性があるのではないかという気がするのである。
 とにかく、精神病(中毒もそうだろう)というものは、親しい友だちに頼むに限る。私は幸い、女房が石川淳と檀一雄をよんで急場をしのいでもらって、その後も適当の方策をめ
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