能登半島から山陰方面へ南下するのと、富山新潟方面へ南下して更に北上するのと、どっちの方が多いのか知らないが、富山新潟方面へ南下して更に北上する漂流横雷が決して少数ではなく、敗戦後元海軍の技術将校にきいた話では、そッちへ流れるのが春夏の自然の潮流だという話であった。ともかく多くの漂流機雷が能登半島の北岸沿いに新潟秋田方面にまで北上していることは事実なのである。
日本の原住民はアイヌ人だのコロポックル人だのといろいろに云われておるが、貝塚時代の住民はとにかくとして、扶余族が北鮮まで南下して以来、つまり千六七百年ぐらい前から、朝鮮からの自発的な、または族長に率いられた家族的な移住者は陸続としてつづき、彼らは貝塚人種と違って相当の文化を持っておったし、数的にも忽ち先住民を追い越す程度の優位を占めたものと思われる。先住民が主として海沿いの高台に居を占めて原始生活をしていたのに比べて、彼らは習性的に(または当時の彼らの科学的考察の結果として)山間の高燥地帯に居を占め、低地の原野を避けるような生活様式を所有しておった。大昔の低地は原始林でもあるし洪水の起り易い沼沢地帯でもあって毒虫猛獣の害も多く、
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