有り得たことにもよるようだ。だがナゼ、表向きコマ村やコマ家で有り得たのだろう。そのナゼは系図の前部がさき去られているので今日では判然しない。
しかしそのコマ家にしても一度は源平の争いからまぬがれることができなかった。そしてそれをきりぬけて残り得たのは、祖神を祀るコマ神社に仕え一生を修験道に捧げて半分山伏生活をしていたせいだと系図は語っているのである。
けれども祖神を祭る大神社をもち大部落民を擁する宮司家や大寺はそのためにむしろアベコベに兵火をうけ易かったものである。それは彼らが広大な荘園をもって繁栄し兵をたくわえる力があったからであるが、それに比べると、コマ家はすでに中世に於て兵をたくわえる力を失い、そのコマ神社も大神社ではなかったせいであろう。宮司が代々修験道に帰依し半ば山伏ぐらしをしていたというのも、この一族のいかにもノンビリと、また小ヂンマリと名利を超越していた暮しぶりが分るようで、それは中世に於てはじめてノンビリと小ヂンマリとしたわけではなくて、ここに集ってコマ郡をたてた時から地下に没する必要のない孤立性を具えて、はじめから小ヂンマリしていたのではないかと思う。
つまり中
前へ
次へ
全48ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング