信仰がつづいたからで、コマの子孫が山岳宗教と結ぶのは教義をはなれて血のツナガリがあったからであろう。この民族の大部落や統治国であったと思われるところには、概ね三山信仰を見ることができる。その三山の中心に居住やミヤコを定めているのである。
コマ村は後の子孫が山伏になったのだから、コマ村本来の三山信仰がなく、したがって三山もないようだ。しかし日和田山という特にさしたる美も威厳もない低山が一ツ特別あつかいにされているようだ、すると古墳の山などと結んで昔は三山があったのかも知れない。大和のウネビ、耳成、天の香具山の三山も見栄えのしない低山だ。だが、三山にかこまれた飛鳥古京は小ヂンマリと平々凡々な小さな盆地ながらも累々たる大古墳群にかこまれ、中央政権を争った栄枯盛衰の跡は遺憾なく残っている。飛鳥古京にくらべればコマ村は更に更に小さくて平凡で奇も変もないが、いかに平々凡々の小天地にも栄枯盛衰や血なまぐさい興亡はあって然るべく、概ね避け難いものだ。
コマ村にも多少の興亡はあったようだが、概ね小ヂンマリと無事今日に残っているらしい。その原因の一ツは、コマ村だけは始めから地下に没せずに表向きコマ村で
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