ものらしく、この山が墳墓だという伝えは昔からあったもののようだ。もっとも、コマ氏系図には
「屍体を城外に埋め、また神国の例によって霊廟を御殿の後山にたてた」
 とあって、城だの城内域外が見当のつけようもないようだが、この系図はこの先の全文がチョン切られているのであるから、この域外に埋めた屍体とは若光らしいと想像されるだけで、若光と断定できるようにはなっていない。また若光がコマ家の第一祖だということもチョン切られた系図からは判定はできない。その長子の家重から系図がはじまるが、家重がコマ家の第二祖だというような番号も系図には示されていないのである。若光の先にも誰かがいたかも知れない。
 コマ王若光とは続日本紀大宝三年四月の条に、
「従五位高麗若光に王姓を与えた」
 とあるだけで、彼が武蔵のコマ郡へ移住したことも、その統率者が若光であったことも、他に記載したものはない。ただコマ家の系図にあるだけだが、それも前文がチョン切れていて、残った部分から判じられるのは、今も述べたように、城外へ埋められた屍体の主は若光らしいが、若光以前のことはともかく全然相わからん、ということである。そして若光王の歿年
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