きない。
 ところがホンモノの大型秋田は大館市に少数残存するだけで、したがって血族結婚になっているから、ニンシン率が甚しく低くて、三期かけ合せても、一期ニンシンすればよろしい方で、しかも一度に幾匹も生れない。二年に一度仔を生めばよろしい方だという。おまけにテンパーに弱くて仔犬のうちにたいがい死んでしまうという。
 そこで本場の大館市からホンモノの秋田と称して売っているものも、たいがいは中型の秋田、否、ただの中型日本犬で、稀にホンモノが売り出されても、これはたいがい育たぬうちに死んでしまう。
 一方、三河製の秋田犬も盛大に売りだされ、これらのイミテーションは繁殖率が高いから、東京の、否、日本中の到るところに秋田犬と称するものが飼われているが、その名犬と称するものも実はホンモノの秋田犬とは違うのである。品評会の一等賞と云っても、小型秋田、中型秋田とあって、これがホンモノの秋田ではないから、要するに秋田犬のホンモノは東京では見られない。ワシントンの出羽号の子供ぐらいが東京で素性の正しい秋田じゃないか、というのが私の東京の愛犬家から探りだした結論であった。
「要するに秋田県でも大館市だけなんですよ。そこ以外には秋田県でも秋田犬は見られないのです。秋田市の人が、これが秋田犬です、と自慢の犬をあなたに見せても、信用してはダメですよ。まっすぐ大館へ行きなさい。このホンモノの秋田犬こそはタダモノではありませんぞ」
 というのが四人の物知りの一致した説であった。その一人が福田蘭童博士であるが、
「あなたがいくら日本犬がキライでも、ホンモノの秋田犬を見れば欲しくなりますよ。ノドから手がでますよ」
 という大断言ぶりであった。
 ところが、私が秋田に向って出発という時に、女房が念を押した。
「秋田の人が秋田犬の仔犬をくれると云っても貰ってきてはダメですよ。日本犬は絶望よ、見るだけでゾッとするわ」
 という、これはまた念入りのゴセンタクであった。わが家の者どもが日本犬に身を切られる思いをしているのは切実であるから、蘭童博士の大断言よりもこの言葉の方が私の身にもしみるのである。
「よろしい。秋田犬はコンリンザイもらってこないが、秋田オバコを仕入れてくるぜ」
 と出発した次第であった。

          ★

 出羽の国というところは私が目下やや熱中している歴史にとっても大切な土地なのであ
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