型の日本犬を一しょに飼うと、日本犬の頭の悪さが身にしみて情なくなるのである。
 日本犬は主人と合せてようやく一匹ぶんの働きができるのである。家族以外の者には決してなれない。しょっちゅう遊びにくる友人も毎曰くる御用キキも、犬のお医者もダメである。鶏屋のオヤジサンは犬に吠えられるのが大キライだそうで、ウチの犬が店の前を通ると肉やタマゴをサービスしてゴキゲンをとりむすんでいるそうだが、全然キキメがない。無用な吠え方をしないように、すでに七八ヶ月も家の者が気を配っているが、全くキキワケがない。
 ただベタベタと、イヤらしいほど主人に忠義である。ワケも分らずに、ただベタベタと忠義というのは全く情ないもので、サムライ日本のバカらしさ、頭の悪さ、そのままである。自分の家の近所と、主人と一しょの時だけは無性に勇み立つ。むやみによその犬とケンカをしたがる。そのくせシェパードのようなはるかに強大な犬に会うとシッポをたれて逃げ腰になる。
 一般に日本では犬はケンカをするものと考えて疑わないが、これはチャチな日本産の犬どもだけの話ですよ。外国種の犬は犬同志でむやみにケンカをしたがるものではないし、ケンカをしなければならぬ必要も、必然性も考えられんじゃないか。
 シェパードなどもむやみにケンカしたがる犬ではない。訓練のないシェパードが立ち上るようにしてよその犬に吠えたて、主人が綱を押えて必死に制しているような図を道で見かけるが、あれはたいがいケンカをしたがっているのではないのである。愛犬家は吠え声で分るものだが、たいがい「遊びましょう」と云ってよその犬に吠えかけているのだ。シェパードを飼って正式に訓練しないような主人は本当に犬の気持は分らない人が多いにきまっているから、自分の犬の言葉が分らない。散歩のさせ方も不充分であるから、犬は遊びたくて仕様がないのが普通である。遊びましょうとよその犬に吠え訴えている言葉も理解できないし、その原因が飼い方の至らなさにあることも理解できないのである。よく躾けられたシェパードは決して猛犬ではないし、また本来、日本犬ほどケンカしたがる犬でもない。
 コリーの如きに至っては、よその犬とケンカすることなど考えたこともない。はじめてコリーを散歩に連れだした当座は、よその犬が自分に吠えると、どういうワケで吠えられるのか理解に苦しむという顔をする。生後三ヶ月ちかいころから
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