った。
 欧米では、保守党たると進歩党たるとを問わず、国民の生活水準を高める、ということは政治家の当り前の役割である。他の政策はちがっても、これだけはあらゆる政党に共通した義務の如きものである。ヒットラーでも、労働者に鉄筋コンクリートの住宅を、自家用車を、と叫んだものだ。
 ところが日本の政治家や政党は、この戦争に負けるまで、国民の生活水準を高める、という政策をかかげたことすらもない。労働者のための政党までそうで、働くことだけが正しくて、否、貧乏の方が正しくて、生活に娯楽をとりいれたり、楽しむことに金を費したりすることは悪いこと、ブルジョア的な誤った考えだというタテマエであった。
 戦争中なら国民に耐乏生活をもとめることも仕方がないが、平和な時代にも耐乏生活を正しいものと考え、生活をたのしんだり娯楽に金を使うのをムダ使いであり悪いことだと考えるような政治家は完璧に政治家の第一番目の落第生にきまったものだが、明治に政党の起って以来、保守党も進歩党も耐乏生活を要求したり謳歌したりするばかりで、国民の生活水準を高めることなど、念頭にとどめたことがなかったのである。
 戦争に負けた今日に至って、アメリカ的な政治常識を猿マネして、国民の生活水準を高めるという政策をにわかにどの政党も一筆書きこみはじめたが、本心からそれを考え、その理想のための個人や党の総力をつくすことを真剣に考えている政治家や政党があるだろうか。国民全体の暮しを楽しく良くするために、また全体の幸福のために、ということには、自分をも国民全体の一人として見つめているシッカリした思想の足場がいるものだ。亭主が酒をのむために貧乏し、家庭生活が破壊されると云って酒の害を説き、酒の害を憂える女房や思想家や政治家は少くない。しかし、酒好きの人間が酒を楽しむこともできないという貧乏の方が悲しむべきことではないか。亭主が好きな酒をたのしんでも家庭生活が破壊されないぐらいのサラリーへ、生活水準へ高める必要のあることを考え、生活水準の低さや国民全体の貧乏を悲しむことを何よりも先に、また切実に知ることが、女房にとっても、政治家にとっても、当り前の考え方というものであろう。
 しかし、そのような当然きわまる考え方や、豊かな生活を、日本の庶民生活の歴史の跡から見出すことはむずかしい。蓮の花のひらく音に耳かたむける静寂を知り、一茎の朝顔に丹
前へ 次へ
全20ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング