ワラぶきを軽いコッパぶきにすることによって積雪時の屋根の重量を軽減し、またクギの代りに重石をのせて雨モリを防ぐことを工夫した、という次第ではないかと考えられる。
とにかく飛騨の農家というものは、コッパぶきと重石だけは同じだけれども、独特の工夫もあるし、大きくもある。耕作面積が猫の額ほどしかない山国の飛騨の農家がはるかに立派で、日本有数の米どころたる新潟や秋田の農家が他国の農家の馬小屋の如くに貧困極まるものだというのはウソのような話だ。小作制度というものが論外の悪制度であったのが第一の理由には相違ないが、新潟や秋田の積雪の甚しさも論外なのだろう。冷害や水害や、辛うじて一毛作しかできないという風土の貧しさや暗さは、雪国の農民住宅にも、町の庶民住宅にも生々しく現れすぎている。建築の骸骨のようなものである。昔から骸骨のような家にしか住むことのできない雪国の庶民であった。
焼け残った都市が焼跡のバラック都市よりも汚く暗く侘びしいということは、銘記して我らの再建作業の課題とすべき重大事ではありますまいか。私は秋田市の裏通りを歩きながら、日本の暗さ悲しさにウンザリせざるを得ませんでした。保守党だろうと、進歩党だろうと、そんな区別は問題ではない。いやしくも庶民の代表たる政治家たるものが、庶民生活のこの暗さや貧しさに打たれないのがフシギではありませんか。祖国の力が尽きはてるほどの大戦争に敗北し、生活の地盤の大半が烏有に帰し、その荒涼たる焼野原へ不足だらけの資材をかき集めて建てたバラック都市ですら、焼け残った都市よりも立派なのだ。
焼け残った都市が焼け跡のバラック都市を指して、この戦争の惨禍を見よ、戦争の悲しさを見よと言えないことは奇怪千万ではないか。そう云えたのは焼跡が暗黒マーケット時代の三四年間だけのことだ。たった五年目、六年目で、もうそれが云えない。今では焼け残った都市の方が逆に汚く貧しげで、戦争前の庶民生活が豊かで平和でたのしかったことを実質的に語っているような誇りやかな遺物は殆どない。きわめて一部の社寺や大邸宅が華やかな過去を語っているが、それは大多数の庶民生活にはカカワリのないものだ。秋田県の山村で、車窓から見た小学校の建物などは、爆撃直後の半壊の小学校よりも甚しく、正視に堪えないものがあった。窓のガラスもなく、片手で押しても忽ちつぶれそうな破れ放題のアバラヤ学校であ
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