くタダモノではない。新劇などというものは先生のまわりへ素人の男女が集まって忽ちでき上って通用するカタムキもあるが、宝塚はそうカンタンにはできない。素人の女が百人集って男なしの劇団をつくっても、それは宝塚にはなりません。とにかく宝塚はバラックではありませんよ。
 新劇に限らず、万事につけて宝塚自身がひろい天地をめざす方向へ進んだ方が、結局個人の才能を最も有効にひろい天地に生かすことになりそうだね。時に例外はあるだろうが、とにかく宝塚という母胎は、たいがいの生徒さんの芸よりもユニックですよ。そして、伝説的に人々に考えられているように、決して畸形ではありません。カブキですらも畸形ではないが、宝塚はそれよりも健全だ。なぜならカブキは現代と一しょに生活しているものではないが、宝塚は現代と一しょに生活しているのですから。女子占領軍がいくら特別の逆上性動物であるにしても、あそこまでナマナマしく逆上させるからには現代の芸術にきまっていますな。
 松竹少女歌劇にくらべると、宝塚の方が子供ッぽいと云うが、そして松竹の方はたしかに男の子もタクサン見物しているし、なんとなく劇の筋も所作も大人ッぽいところはある
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