であるが、宝塚を実地見学した教育熱心なオヤジというものは世に稀なもののようである。もっとも母親の半分ぐらいは往年の宝塚ファンで、オヤジはもっぱらその見解を信用して、宝塚なら安心だ、そういう神話的安定度を得ているもののようだ。決して演劇論的に、また経験的に、安全感が生みだされているものではない。
 宝塚といえば、もっぱら女学生の見るものと相場がきまっている。ところが、男が見ても、面白いね。面白い筈さ。女の子だけでやる芝居だもの、男にとって興味があるのは当り前の話でしょう。
 けれども男が見なくて、主として若い娘だけが見る。見るというよりも、占領してるんだね。そして、宝塚の少女歌劇そのものは、格別一風変ったものにも見えないが、この女子占領軍が一風も二風も変っているのだ。切符売場から、楽屋口から、待合室から、劇場を十重廿重にとりまいて占領した娘子軍《じょうしぐん》は、実にボージャク無人、余人をよせつけない。彼女らは娘であるからビールをラッパのみにしないけれども、さながら女子占領軍の全員がビールをラッパのみにしているような気概があふれ、占領軍の素質としては甚だしく勇敢な部類に属するようだ。我々
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