き地を探しての移動が迅速のせいかも知れん。彼らはたしかに甚だ活動的な人種で、馬と弓矢に長じており、この二ツと斧が主要な生活必需品であったらしいし、すでに建築の心得もあった。ヒダのタクミと云う通りさ。
 もっとも、逃亡したヒダのタクミ(奈良や京都の建築に徴用された奴隷だ)の捜査と逮捕を命じている千百年ほど昔の官符の一ツに「ヒダの人間は言葉も容貌も他国に異るから名を変えてもすぐ分る」と但し書がついてる。これがどうも分らぬけれども、タクミの系譜は日本の支配者たりしヒダ人とは別なんですかね。とても拙者の手には負えません。
 しかしヒダ特有らしい顔、ヒダのタクミの顔は今も多少残っています。どんな顔かというと、仁王様や赤鬼青鬼や、女の顔の場合だとナラのミヤコの古い仏像がそうだ。自分たちの顔が仁王や仏像の原形なのさ。仁王様がスゲ笠なんかかぶって歩いているのに何人も会ったよ。二ツの目の上やホッペタにゴツゴツとコブのある顔だ。女の場合にもそうでもあるが、脂肪によってコブとコブの谷間が平らになると、まんまるい仏像の顔になる。今でもヒダの名もない寺の名もない仏像に、勿論その存在は誰にも知られていませんから国宝などではないが、それは驚くべき名作がありますよ。探せば諸方の名もないところに、いくらでも在るのかも知れませんが、そっちの方を見て歩くヒマがありませんでした。
 私の見たのは大雄寺(ダイオージとよむ)の身長三尺ぐらいの小さな仁王一対と、国分寺の伝行基作という薬師座像と観音立像とヒダのタクミ自像二ツですが、大雄寺の仁王は日本一の仁王だと思いましたし、国分寺の薬師と観音に至っては日本の仏像でいくつもない第一級品中の一級品ですよ。これは国宝になっていますが、伝行基作はウソで、ヒダのタクミの作にきまってます。
 ヒダのタクミには名前がない。タクミはヒダのあたり前の商売のせいか、米やナスをつくる百姓が作者としての名を必要としないように名を必要としないらしい。かかる本質的な職人が名人になると、怖しい。濁りも曇りもありません。その心境にも曇りなくムダな饒舌がなく、そして、その心境と同じように技術が円熟して、まことにどこにもチリをとめないというのがヒダの名人の作です。それが国分寺の薬師と観音ですよ。アア美しい、と云えば、それで尽きてしまうぐらい、カゲリと多くの観念とが洗い去られているのです。
 高山の
前へ 次へ
全29ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング