如ということから考えて、ここがスクナの墓、否、大友皇子、日本武尊らの運命を負うた人の墓と見てよろしいかと思う。たしか縁起の一本にはここがタタリの本家でここを霊場にしないと天下は平にならんという意味が書かれていたのがあったようだ。ここがそういうヒダの国のヒツギのミコの墓なら、ここにも墓の中に身がないのか、胴だけでもあるのか、これは見当がつかない。この寺は戦国時代に武田信玄の手勢に一物も残さず焼き払われてしまったが、それはここに僧兵が籠っていたためであった。この焼亡がなければ恐らく相当の珍しい史料があったと思う。千光寺はヒダの社寺でただ一ツ後々の世まで国家守護のオマモリを朝廷へ毎年お納めしています。
とにかく、両面神話の主人公の本当の運命がどの神や天皇や皇子にちかいのか、それは知ることができないが、ただスクナのように古い時代のものではなくて、天武即位直前の犠牲者であったと見るべきであろう。
したがって、スクナが鍾乳洞を常の住居にしている筈はなく、彼がそこに住んだとすれば、それは追いつめられた最後の時であり、そして大友皇子の場合を当てはめれば、彼はそこで首をくくって自殺したのであろう。スクナは敵軍来るときいて、ミノのブギ郡の下保へ出陣したとあるが、そしてその辺がたしかに両面神の最も主要な戦場を暗示しているのは事実であるが、ケサ山千光寺の所在地をヒダの丹生川《ニウガワ》村|下保《シモホ》という。彼が傷いて敗退したミノの地名をかりたのかも知れない。
しかし、この山奥へ追いつめられてホラアナで死んだミコは、この山奥で王様たるべき人ではなかったようだ。それは書紀の壬申の乱の戦場をシサイによむと、その戦場は大和ではなくヒダでなければならぬ筈だが、ヤマトだのナラの山ができて、それを兵隊たちが「古京」とよんでいるのだ。その古京は恐らく近江に対する古京ではなくて、ヤマト、アスカに対する古京であり、そしてヒダの地に古京があるユエンは、ヒダの王様がここのミヤコを去ってヤマトやアスカで新しい都をひらいていたせいだろう。
その一族と天武帝の一族が赤の他人か血族であるか。どうも血族的ですね。そしてまつろわぬスサブル神(赤の他人)を平定した前世代はヒダの地へ天ツ船でのりこんだんだろう。それもそう遠い過去ではなかったようだな。しかし、その船つきの地点に古墳が一ツもないそうだが――それは彼らの良
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