彼のひそむ穴が分ったのは密告によるもので、時をうつさず大包囲網をしき、彼はこの穴ボコで縛についたもののようです。
彼の刑死した年に、長崎では、アウグスチノ会員のイルマンたちやおびただしい信徒が捕縛されているところを見ると、大先生とともに、彼の支配下の組織全部がやられたように思われます。私は金鍔神父の捕われた穴ボコの中にたち、海を見下して、感無量でしたよ。それは悲劇的ではなくて、牧歌的――いわば、彼だけは切支丹史上に異例な、切支丹西部劇というようなスガスガしくて無邪気で明るい牧歌的なものを私は考える。この穴ボコから長崎の港そのものは見えないが、それにつづく静かな海が見え、その海にひらけた谷間はきりたった断崖と緑におおわれていたであろう。朝夕も白昼も静かだったろうね。
この谷に今では長崎の教会のカリヨンが海をわたってきこえてくるが、彼はこの風光やカリヨンの幻聴などが問題ではない充実した動物だったろう。野生のカモシカのような。
なつかしい一匹のカモシカ神父よ。
★
私が自分の目で見た戦災地のうちで、一番復興がはかどらないのは、宇治山田市。次が浦上であった。宇治山田の戦災はきわめて小部分にすぎないが、その小さな焼跡は全然と云ってよいほど復興していなかった。それは敗戦後の数年間、復興に必要な条件たる神宮の参拝客を失っていたせいであろう。
浦上の方は所在の戦災工場が殆ど戦争用のものであるために復活せず、その工場人員の居住を要しなくなったせいもあろうが、土着の浦上町民の大多数が死亡したせいもあろう。土着民の多くは先祖伝来の切支丹で、昭和二十年に一万余名という浦上切支丹のうち、原子バクダンの一閃と共にその八千五百名を失った由。土着民の大部分を失ったのだから、復興がおそく、人家と人家の間や周辺に非常に多くの空地が目立ち、旅人の心を暗くさせる。
私一人の特殊な感傷であるかも知れないが、私は浦上の運命については感慨なきを得ないのである。
浦上は原子バクダンによって世界的な名所となったが、こういう異常な犠牲となる以前から、浦上は日本に於ける最も特殊な村落の一ツであった。私の十年前の旅行に於ても、浦上訪問は私の大きな関心事で、その土をふみ、農家の前に立つだけでも、なんとなく異様な思いが胸にさわぐのを押えることができないような気持であった。
九州には隠れ
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