安吾の新日本地理
消え失せた沙漠――大島の巻――
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)颱風《たいふう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二十|米《メートル》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+占」、第4水準2−89−83]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)チョイ/\
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 この正月元旦に大島上空を飛行機で通過したとき(高度は三千メートルぐらいだったらしい)内輪山の斜面を熔岩が二本半、黒い飴ン棒のように垂れていただけであった。くすんだ銀色の沙漠はまだ昔のままであった。だいたい機上から見下した山というものは、およそ美しくないものです。ただ無限のヒダやシワがあるだけで、山の高度も山の姿も存在しないのです。ところが大島だけは、そうではない。黒い火口があって、内輪山の斜面を垂れ下る二本半の熔岩があって、銀色の沙漠がそれをとりまいて、その周囲にいわゆる山があるわけだ。いわば海の上へスリバチを伏せたようなケーキをおいて、その上に白いクリームをかけて、クリームの中央へチョコレートをかけ、そのチョコレートが二本半クリームの上へ垂れているように見えた。火山の凄味などは全然感じられない夢の国のオモチャのような美しいものであった。
 その後、三月と四月の大爆発で広い沙漠の半分を熔岩がうめてしまったという。昔の大島を御存知の方はお分りであろうが、あの沙漠を熔岩がうめてしまうというのは大変なことですよ。御神火茶屋まで登っても、さてそれから沙漠を横断して内輪山の火口壁まで行くのが大変だ。砂だから歩きづらいということもあるが、あの沙漠をうめる熔岩ならアタミと伊東の二ツの市をまとめて下に敷き隠してしまうのはワケはない。おまけに、沙漠はかなりの高さの外輪山で壁をめぐらしているから、熔岩は相当の厚さで沙漠に溜り、壁よりも高く溜らないと、海へ向って流れ落ちることがない。目下のところ、溜った熔岩の厚さは平均して二十|米《メートル》ぐらいだろうという話であった。
 大島の測候所で私は言われました。
「とにかく、見なければ分りません。百聞は一見に如かずですよ」
 科学者が説明ぬきでこう言うのだから面白い。まさしくその通りであった。沙漠をうめつくした熔岩の原野を見るとウンザリするね。言語道断な自然の暴力にウンザリするのです。原子バクダンで颱風《たいふう》の進路を変えるなどというのはまだまだ夢物語だそうで、颱風のエネルギーにくらべると、長崎でバクハツした原子バクダンのエネルギーなどはその何千分の一という赤ん坊のようなものだそうだ。そういう自然の威力と人間の小さゝは三原山の熔岩を見ると身にしみますよ。ただ、そこには原子バクダンが人間に与える実害のような地獄絵図はない。ただガッカリするほど雄大です。まったく見なければ分りません。
 この前に三原山が海岸まで押し流した熔岩は天和四年から元禄三年の七年間にわたる噴出によるのだそうで、二百六十年ほど昔のことだ。安永三年(西暦一七七四年)に今まで沙漠の中に、内輪山よりに残っていた熔岩をだしたのだそうだ。
 すると、安永以前から沙漠があって、安永の噴火には沙漠のちょッと一部分に、熔岩が流れでた程度であったが、今度のはそっくり沙漠を覆い尚《なお》流出の勢いであり、元禄以来二百六十年ぶりという大爆発らしいや。今のところ、泉津《センヅ》側と波浮《ハブ》側に沙漠が残っているが、これ以上熔岩がたまると、映画屋が沙漠のロケーションに音をあげてしまう。もっとも、鳥取県の海岸に相当の砂丘や砂原があるそうだ。
 この熔岩が風化して再び沙漠になるには百年か二百年もかかるのだろうか。とにかく三原山といえば沙漠が名物であったが、その沙漠が一九五一年に失われて、熔岩原となった。そして今後は熔岩原が三原山の新名物となって、再び沙漠が名物になるには百年もかかるとすると、これは一ツの歴史的な爆発に相違ない。三宅島も地熱が高くなって水がかれ、木がかれはじめたので、噴火が起るのじゃないかと調査団が今朝現地へ到着したと新聞が報じている。
 前回、大島が噴火した安永年間にも、三宅島、八丈、青ガ島が相ついで噴火し、特に青ガ島は再度にわたってサンタンたるものであったらしい。三原山が活動をはじめた、鳴動した、黒煙をふいた、という話は、関東大地震の後だけでも何べんあったか知れないね。黒煙をモクモクとふきだしている写真が何度も新聞に現れて人気をよび、私も見物にでかけたものだ。ところが、今から思えば、あんなのは噴火の卵にも当らんようなものだね。
 新聞の写真が過去に於てそうであったように、噴火といえば黒煙天に冲《ちゅう》するものだと思っていましたね。十何年か前にドイツのファンク博士というカメラマン兼映画カントクが来朝して、日本側では早川雪洲、原節子主演の「新しき土」とやらいう日独テイケイ映画をつくった。そのとき浅間山のバクハツ瞬間を撮そうというのでカメラをすえつけ、何人かの日本人の映写技師が何ヶ月もバクハツを待ってカメラにすがりついていたそうで、バクハツの瞬間にスイッチのボタン一ツ押すために大の男が何ヶ月もポカンと暮しているとは有為の男子に対する大侮辱デアル、と大そう怒っていましたね。なるほど定九郎のイノシシや仁木弾正のネズミよりもダラシがないような職業的劣等感にハンモンしたかも知れんな。第一キリがねえや。しかしキリがなくって、いつの日がバクハツだかワケが分らんところに役の意味があるのだが、日本では珍しくもないたかが浅間山のバクハツにすぎないのだし、命じるのは外国人のそう手腕卓抜とも思われぬ同業者にすぎないではないか。日本の男の子の面目まるつぶれというモンモンたる心事になやんだのはムリがない。自発的な仕事でないと、こういうバカなことはやれません。クラカトアのバクハツを数年がかりで待ちかまえて、ついに七年目とかにバクハツ瞬間をカメラにキャッチした大人物もいたそうではありませんか。
 とにかく、おかげ様で浅間山のバクハツ瞬間というものを我々も見物させていただいたわけです。あれも黒煙天に冲しましたね。浅間山のバクハツはまさに黒煙天に冲するという性質のものだそうです。
 ところが、三原山はそうではないそうです。火山弾を打ちあげるだけで、ほとんど黒煙をともなわない。熔岩に粘性が少いと噴煙がないのだそうで、富士山などもそういう性質の山だそうだ。しかし黒煙モウモウたるときもあるが、それは火口内の壁がくずれた時に煙がでるのではないかと一応見られているのだそうだ。
 富士山の宝永四年(西暦一七〇七年)十一月二十三日のバクハツの記録によると、前日の夕刻から地震五十回あまり、当日は算えるべからず、午前十時天からまるい光団がふるとともに黒煙空にみなぎって鳴動し、午後八時に火焔もえ、火の玉天に冲す。なるほど、三原山式ですね。その後十日ほどにわたって黒煙山をおおいつつあるかと思うと、時に火の玉をふきあげ、火焔もえたち、またもや黒煙が、一面をおおうというようにくり返しています。表面が砂のような富士山だから火口壁も再々くずれ火の玉と黒煙の噴火が入りまじって起ったものらしい。今回の三原山のもそうらしいが、富士山の記録にくらべると黒煙におおわれるよりも、火の玉だけ打ちあげるバクハツの方が多いようですね。主として直径一寸ぐらい、時に直径一尺位の火山弾もうちあげているそうですが、打ち上げる高さはせいぜい二三百米にすぎず、内輪山の火口壁周辺にころがり落ちる程度で、沙漠の外側の外輪山で見物している我々には全然危険がないそうだ。黒煙をふきだす時でも、煙の高さは五百米位にすぎないそうで、浅間山のように天高く、また遠く山麓に向って広範囲に火山弾や火山灰を噴き散らすことはないらしい。
 三原山は多量の煙をださない代りに多量の熔岩をだす。昔人々がとびこんで自殺した火口は去年以来のバクハツごとに熔岩でふくれあがり、今では昔の火口が熔岩でいっぱいになって熔岩の湖となり、その湖上にさらに熔岩がもりあがって山をきずいたのが新火口である。三原山の最高所は波浮よりの外輪山の剣ガ峯という七五五米のところだが、新火口は現在に於てそれとほぼ同じ高さの山(コニーデというそうだ)をなしているそうだ。
 その新火口のテッペンから、バクハツにつれて熔岩がモロモロわきだすのだろうと思うと、さにあらずだそうだね。もっと下の横ッチョに、山の腹をやぶって熔岩をふきだす孔があるのだそうだ。今は二ツある。先日までは三ツ現れた時もあるそうだ。その白い閃光を放つ口から音もなく熔岩がでるのだそうだね。薄気味わるい話さ。なんしろ地底から火の玉を噴いたり、火の川がモロモロと音もなく流れでてくる騒ぎであるから、天地と共に変りあることなし、などゝ子孫に訓辞をたれていられない。測候所の技術者が山へ観測にでかけて、新火山を写真に撮してきた。現像してみると新火山の横ッチョに(まア山のノドクビ、あるいはハナや口ぐらいの高さのところ)孔ができてるのですよ。相当大きな凹みで、火山のヘソのような妙にハッキリしたものだが、撮影した人は肉眼の観測ではそれに気付いていなかったそうだね。
「フィルムのシミかも知れませんね」
 測候所の方々は私たちにその写真を示して、こう控えめに仰有《おっしゃ》った。次回の観測の時にはもうそのヘソはなかったし、その後再び現れないから、学者は素性のハッキリしない現象を一応オミットしてフィルムのシミでしょうなどと仰有り変なコジツケをなさらない。しかし、撮影した原板は二種あって、そのどちらも山のノドのあたりにヘソができているのだから、フィルムのシミではないし、タダモノではないらしい。
「二ツの写真のどッちにも同じ孔があるのはシミにしては妙ですな」
 と素人が伺いを立てると、学者方は、アッハッハ、とお笑いになる。それ以上は仰有らんな。科学は怪談をよせつけない。しかし、山そのものが火の流れであったり、カルメのようにふくらみつつある怪物だから、こういう妙テコリンなヘソができたりなくなったりするようなことがチョイ/\あっても、素人は一向におどろきませんや。
「この山の底は大いなる空洞であろう。それは確実な事である。そしてその大いなる空洞がいつ凹むか。それは気掛りなことである」
 という意味のことを、私の同行者はしきりにブツブツ呟いていた。彼はまだ三十にならぬ若者である。我々が熔岩の上へよじのぼり黒いデコボコの大原野の一端に立ったとき、彼は足もとの熔岩のスキマから湯気のふきあげるところに怖れ気もなく指を当てて、
「キャッ!」と飛上ってキチガイのように肱《ひじ》をふった。相反する妙なことを喋ったり行ったりする人物で、彼はオモムロにタバコをとりだして、湯気の中へ差込んだが、湯気から火がつくという話はきいた事がないね。しかしこれを現代では実証精神というのかね。
「湯気のために火がつきません」
 彼は嬉々と声高らかに実証の結果を報告する。アメにならないように気をつけてくれ。
 熔岩の熱は、測りに行けるところで千三百度。二千度ちかいところもあるそうだ。こういう高熱は電気を用いて測るのだそうだね。この熔岩が斜面を流れ落ちてくるのが毎秒四米ぐらい。人間が斜面を駈け降りると私のようなデブでも毎秒十米は越すだろうから、イヤ、デブは加速度によって早いかね、追ッかけられても怖くはないらしいや。沙漠まできて平地を這いはじめると、時速二メートル八十センチというから、カタツムリのようなものだ。こういうノロマだから熔岩原の表面は実に怖るべきデコボコだ。しかしこういうノロマな速力で、いつしか広い沙漠を二十米の厚さに埋めたのだから、根気のいいのと気前よく吐きだすのには呆れるね。同行の青年が、地底は穴である。それがいつ崩れるかそれは気がかりであると呟く心事が分らぬことはない。この活動はまだ
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