してフィルムのシミでしょうなどと仰有り変なコジツケをなさらない。しかし、撮影した原板は二種あって、そのどちらも山のノドのあたりにヘソができているのだから、フィルムのシミではないし、タダモノではないらしい。
「二ツの写真のどッちにも同じ孔があるのはシミにしては妙ですな」
 と素人が伺いを立てると、学者方は、アッハッハ、とお笑いになる。それ以上は仰有らんな。科学は怪談をよせつけない。しかし、山そのものが火の流れであったり、カルメのようにふくらみつつある怪物だから、こういう妙テコリンなヘソができたりなくなったりするようなことがチョイ/\あっても、素人は一向におどろきませんや。
「この山の底は大いなる空洞であろう。それは確実な事である。そしてその大いなる空洞がいつ凹むか。それは気掛りなことである」
 という意味のことを、私の同行者はしきりにブツブツ呟いていた。彼はまだ三十にならぬ若者である。我々が熔岩の上へよじのぼり黒いデコボコの大原野の一端に立ったとき、彼は足もとの熔岩のスキマから湯気のふきあげるところに怖れ気もなく指を当てて、
「キャッ!」と飛上ってキチガイのように肱《ひじ》をふった。相反
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