なところ。四囲は自然の岩盤で牢屋の格子戸と同じものが足の下に敷いてある。天の岩戸のような入口をしめると、足の下の格子の下から四十八度の蒸気が音もなく人間をつつむ。音もなく。これが気がかりな言葉だね。そこのオヤジらしい三十七八の詩人的人物が、私をシゲシゲと見て、
「坂口さんじゃないか」
 とおどろく。どうも、その顔が思いだせない。彼は私の田舎の中学校の同級生で出版屋の番頭をやってる「ザト」という人物のことをきいた。私と彼の共通の友人がザトらしい。すると彼も出版か文学に関係ある人で、ザトを通じて私と一面識があったに相違ないのである。ヨシナリ君という人だった。
 下山して土地の文学者に訊くと、
「ああヨシナリ君。あの人は大島生れではありません。奥サンが岡田の人で、タメトモ心を起しましてな」という話であった。内地から来た旅行者がアンコの情にほだされ、天下の大事を忘却して島に居ついてしまうのを「タメトモ心ヲ起ス」という由である。湯場の売店に働いていた彼の奥さんはやや美しく、さすがに甲斐性がありそうなアンコだったね。彼女はノドをつぶしていました。毎晩大島節を唄うせいさ。甲斐性があるのだね。島にはタ
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