は、後にタンテイの結果をのべます。
「□□□天皇御世乙巳年六月十一日、近江天皇、林太郎□□ヲ殺シ、明日ヲ以テ其ノ父豊浦大臣子孫等皆之ヲ滅ス」
 アッサリしたものです。近江天皇は天智天皇のこと。□□□及び□□という二ヶ所の欠字については、これまた後にタンテイの次第を申上げます。
 この件りのあたりを書紀がどのように書いているか、欽明天皇の終りごろから読んでごらんなさい。ヒステリイだかテンカンだか知らないが、ほとんど血相変えて、実に慌しく発作を起しているのです。入鹿蝦夷が殺される皇極天皇の四年間だけでなく、その前代の欽明天皇の後期ごろから、何千語あるのか何方語あるのか知らないが、夥しく言葉を費して、なんとまア狂躁にみちた言々句々を重ねているのでしょうね。文士の私がとても自分の力では思いつくことができないような、いろんな雑多な天変地異、妖しげな前兆の数々、悪魔的な予言の匂う謡の数々、血の匂いかね。薄笑いの翳かね。すべてそれらはヒステリイ的、テンカン的だね。それらの文字にハッキリ血なまぐさい病気が、発作が、でているようだ。なんというめざましい対照だろう。法王帝説の無感情な事実の記述は静かだね。冷めたく清潔で美しいや。それが事実というものの本体が放つ光なんだ。書紀にはそういう清潔な、本体的な光はないね。なぜこんなに慌しいのだろうね。テンカン的でヒステリイ的なワケはなんだろう。それは事実をマンチャクしているということさ。
 とにかく、重大なことが起ったのさ。ところがですね。その重大なこととは、蝦夷という大臣とその子の入鹿が殺されただけのことではないか。蝦夷と入鹿は自分を天皇になぞらえて、宮城やミササギをつくッていたそうだが、それにしでもだね、大臣が殺されたなんてことは、その前後にフンダンにありますね。天皇も皇太子も殺されているね。王子もそれから天皇位を狙う重臣も、いろいろと品数多く、蝦夷入鹿の父子よりもよッぽど高貴の筈の人たちが実にムザンに実に大量に殺されたり殺したりしているではありませんか。より以上に重大な殺人事件がタクサンあるのに、ヒステリイ的で、テンカン的で、妖しい狂躁にみちているのは、この事件の場合だけですね。実に事の起る六七年以前から、記事はすべて天変地異、妖しい前兆、フシギな謡の数々だ。ただごとではありません。そこに重大な理由がなければならないことだ。
「上宮聖徳法
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