な大会社の資本がはいって漁法にも運営にも計画された設計があるから、昔ながらの漁港に見られる因習的な暗さがないね。
石巻ときたら、港から町の中心まで、船員相手のキャバレーだのパンパン屋だの、バアだのオデン屋だの待合だらけさ。中には、船員様のためのバア、などと書いたのもあるし、船員御用、船乗の皆さん、どうぞ、などというのもある。私の泊った宿屋では、しきりに石巻の芸者をよぶことをすすめたが、冗談じゃない。そんな芸者は見なくッても分ってらア。ムダに四十何年遊んで生きてきやしないよ。漁師町の芸者なんぞ、今さら見たいと思うもんかね。
鮎川はこの暗い東北でも半島の先端にとりのこされた漁港でありながら、石巻のように悲しくみじめな暗さが少いのは、漁港全体の運営に近代性があるせいだろうね。鮎川の明るさは仙台に比較しても云えることだ。東北は精神的に一つの鎖国状態なんだね。鮎川へきてホッとするのは、その鎖国に、ここだけは通風孔があいてるからだろう。鮎川には素直に東京の風が、日本の風が吹いている。仙台や石巻には、東京の風も日本の風も仙台的にゆがんで黒ずんで吹いてるだけさ。政宗という田舎豪傑の目のとどかない悲
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